きょうの水彩: 右旋回。
金閣
きょうの水彩: 鹿苑寺舎利殿 (金閣)。クライアント様から許可を頂いて掲載。
金閣を描くお仕事を頂いた。同時期に京都へ行く機会があったので、北山へ実物を見に行った。門をくぐるといきなりある。とにかく派手で、もれなく人を圧倒する。
建物を見るときは建てた人の心情を勝手に想像する。足利義満は剛胆で権力欲の塊だったというけれど、能の世阿弥・観阿弥を見いだしたりしている。根は繊細なのかもしれない。金閣は足下の鏡池で逆さになって揺らぐ。ここに「人がこの世でどれだけ栄華を誇ったところで、所詮は幻」というほのめかしを見た。鼻持ちならないな、と勝手に腹が立ってきた。さらに妄想が進めば燃やしたくなってくるかもしれない...。
自宅へ戻って製作した。金色を水彩で描くのが楽しかった。
横浜から
きょうの水彩: 横浜港。落書き用の更紙に色を置いた。
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日本神経科学大会の開催中、海外研修でお世話になった先生が来日していると伺って、パシフィコ横浜に向かった。会場近くのレストランで先生方とランチをご一緒した。先生も、来日のお知らせを下さった方も精力的に活動をされているようだった。ランチの後、先生方と別れて海の方へ向かった。もう会費を払っていないので学会会場には入れなかった。
パシフィコ横浜の敷地の端に「ぷかりさん橋」という場所があった。係留式の桟橋で、小さな洋館がぷかぷか浮いていた。海上バスのターミナルらしかった。そのあたりで何か描くことにした。
描きながら、研究していた当時のことを思い出した。苦しかった。数値化すれば大事な要素が失われてしまう現象について、無理にでも数値化しなければならないことが辛かった。空を飛ぶのに羽を落とさなくてはならないような、海を泳ぐのに両手両足を縛られなくてはならないような。向いていなかったのだと思う。
今は楽になった。行きたいところに行く。
リリエンタールの翼 (ふたたび)
きょうの水彩: リリエンタールの滑空機 (1894年の「標準機」を参考に描画)
一つ前のポストを見返して、翼の構造が全然描けていないことに気づいた。彼が命を賭して改良を重ねた翼なのだから、もう少し詳しく描こうと思った。
空を飛ぶもの
きょうの水彩: 空の習作。普段と違う絵具 (サクラマット水彩) を使って描いてみた。
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ついにFlightradar24のGold planを申し込んでしまった。アクセス開始時の広告が消え、タイムアウトによる更新の必要もなくなった。コンピュータの前にいる時間、ただずっと羽田を発着する飛行機の様子を見てしまう。
羽田へ降りる飛行機は伊豆大島から房総半島にかけて数珠つなぎの列を作り、大回りをしながらひとつずつ順番に降りていく。
このあいだ宇部発羽田行きの飛行機に乗ったとき、窓から伊豆大島が見えたので、もう降りるのか、あっという間だなと思ったら、そこからが長かった。「何してるんだろう」と思ったけれど、この待機列に並んでいたらしい。
とにかくいつまでも見てしまう。個人事業主の自制心が問われる。
宇宙時代の貨物
きょうの水彩: 種子島宇宙センターを飛び立つASTRO-H (ひとみ)。人工衛星や探査機は、無事打ち上げに成功したもののみ「ひとみ」「あかつき」などの名前が与えられる。
種子島を描くためH-IIAロケットに関する資料を集めている最中、三菱重工のサイトでH-IIA,H-IIBのプロモーション動画を見つけた。格好良い。「どんな貨物も、約束の時間に、約束の軌道へ」...物流企業のCMフォーマットだ。なるほど、宇宙時代の人工衛星は「貨物」なのか...。
MHI打上げ輸送サービス プロモーションムービー (Short.ver)
でも、きっと関係者は毎度打ち上げのたびに「頼むから上がってくれ」と祈っているに違いない。
サイトにはH-IIAの「ユーザーズマニュアル」もあった。
答えなくてもいい
きょうの水彩: 空の習作。
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絵を描いているとき、頭の中から声がすることがある。
「こんなことに何の意味があるの?」
院生の頃、論文を書いているとき同じような声を聞いた。「何の意味があるの?」と頭の中から声がした。書かなければ修了できない。すると「修了することに何の意味があるの?」と頭の中から声がする。意味がないならもうやらなくていい。苦手なことをやらなくていいのはすごくいい。そういう風に"声"の言うことを聞きながら過ごすうち、自律神経が失調した。
絵を描く仕事を始めた今も、時々頭の中から声がする。頭の中に色々な音や言葉が覆いかぶさってきて、作業の手を止めようとする。一度深呼吸をして、そのまま作業を続けると、声がやや遠ざかる。そのまま作業を続けると、徐々に絵ができあがってくる。
ICU本館
水彩スケッチ: 3月中旬の風景。建物に重なる木をいくつか省略した。
国際基督教大学 (International Christian University: ICU) 本館の取り壊し計画がたったと聞いて、オープンキャンパスの日にお邪魔した。中央線の武蔵境駅からバスでおよそ15分。キャンパスは広く、森に囲まれた静養地のような雰囲気だった。
本館の中は、四角く機能的で研究所らしい作りだった。細長い廊下にそって、ナンバリングされた教室のドアが並んでいる。廊下の壁に電話が設置されているのが面白かった。正面入口の柱には聖書の言葉が埋め込んであった。
They will beat their swords into plowshares and their spears into pruning hooks. Nation will not take up sword against nation, nor will they train for war anymore. (Isaiah 2:4)
こうして彼らはその剣を打ちかえて鋤とし、その槍を打ちかえて鎌とし、国は国に向かって剣をあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。(イザヤ書 2:4)
この建物はかつて中島飛行機三鷹研究所の本館だった。中島飛行機創立者の中島知久平氏は、武蔵野の地に富士山の見える広大な敷地を買い上げて、日本の航空機開発の重要拠点にしようとした。研究所は1941年から建設が始まり、その後本館が完成、そこから45年の敗戦までの短い間「富嶽」「剣」などの戦闘機の設計・製作が行われたらしい。東京ドーム13個分にあたるICUの敷地も、もとは全て研究所のものだった。今でも大学のすぐそばに中島飛行機の流れを汲んだ富士重工 (スバル) の事業所がある。
ICUは、国内外のキリスト教関係者の尽力で1953年に発足した。戦後解体された中島飛行機の土地がキャンパスとして選ばれた。Wikipediaには「ダグラス・マッカーサーが設立財団の名誉理事長だった」というような記述があるけれど、出典先のリンクは切れていて、大学のウェブサイトにも載っていない。本当にそうだとしたら、というか、そうだとしなくても十分に占領政策との関係がある大学だったんだろう。本館は空襲で爆撃を受けた箇所を修復され、四階部分の増設工事の後、そのまま学舎になった。たぶんICU創設者達は「教育によって日本人の精神を内面からつくりかえる」ことを目指していたのだと思う。それで兵器製造の拠点であった三鷹研究所の外枠をあえて残し、内側を教育の場につくりかえて、自分達の目的の象徴にしたのだと思う。柱に埋め込まれた聖句もその意思を暗示している。
関係した人々の熱意と思惑を想像した。中島知久平氏は大戦前夜のどさくさに紛れて、航空機技術者の理想郷を実現しようとした。ICU創設者達は戦後のどさくさに紛れて、博愛的立場から宗教ミームの拡大を図ろうとした。リベラルアーツ教育は日本に根付いたんだろうか。自分の頭で考える力は?
建物をしっかりスケッチするのは難しかった。風景スケッチは楽しい。描いているといつも何がしかの発見がある。例えば、偶然かもしれないけれど、この建物の窓枠は十字のシンボルになっている (残念ながら、絵に該当部分を描き込めていない)。目立つところに十字のシンボルを立てなかったのは、創設者の配慮なのかもしれない。誰かの意思が見える建物はとても魅力的だ。取り壊される前に見に行けて良かった。