ICU本館

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水彩スケッチ: 3月中旬の風景。建物に重なる木をいくつか省略した。

国際基督教大学 (International Christian University: ICU) 本館の取り壊し計画がたったと聞いて、オープンキャンパスの日にお邪魔した。中央線の武蔵境駅からバスでおよそ15分。キャンパスは広く、森に囲まれた静養地のような雰囲気だった。

本館の中は、四角く機能的で研究所らしい作りだった。細長い廊下にそって、ナンバリングされた教室のドアが並んでいる。廊下の壁に電話が設置されているのが面白かった。正面入口の柱には聖書の言葉が埋め込んであった。

They will beat their swords into plowshares and their spears into pruning hooks. Nation will not take up sword against nation, nor will they train for war anymore. (Isaiah 2:4)

こうして彼らはその剣を打ちかえて鋤とし、その槍を打ちかえて鎌とし、国は国に向かって剣をあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。(イザヤ書 2:4)

この建物はかつて中島飛行機三鷹研究所の本館だった。中島飛行機創立者の中島知久平氏は、武蔵野の地に富士山の見える広大な敷地を買い上げて、日本の航空機開発の重要拠点にしようとした。研究所は1941年から建設が始まり、その後本館が完成、そこから45年の敗戦までの短い間「富嶽」「剣」などの戦闘機の設計・製作が行われたらしい。東京ドーム13個分にあたるICUの敷地も、もとは全て研究所のものだった。今でも大学のすぐそばに中島飛行機の流れを汲んだ富士重工 (スバル) の事業所がある。

ICUは、国内外のキリスト教関係者の尽力で1953年に発足した。戦後解体された中島飛行機の土地がキャンパスとして選ばれた。Wikipediaには「ダグラス・マッカーサーが設立財団の名誉理事長だった」というような記述があるけれど、出典先のリンクは切れていて、大学のウェブサイトにも載っていない。本当にそうだとしたら、というか、そうだとしなくても十分に占領政策との関係がある大学だったんだろう。本館は空襲で爆撃を受けた箇所を修復され、四階部分の増設工事の後、そのまま学舎になった。たぶんICU創設者達は「教育によって日本人の精神を内面からつくりかえる」ことを目指していたのだと思う。それで兵器製造の拠点であった三鷹研究所の外枠をあえて残し、内側を教育の場につくりかえて、自分達の目的の象徴にしたのだと思う。柱に埋め込まれた聖句もその意思を暗示している。

関係した人々の熱意と思惑を想像した。中島知久平氏は大戦前夜のどさくさに紛れて、航空機技術者の理想郷を実現しようとした。ICU創設者達は戦後のどさくさに紛れて、博愛的立場から宗教ミームの拡大を図ろうとした。リベラルアーツ教育は日本に根付いたんだろうか。自分の頭で考える力は?

建物をしっかりスケッチするのは難しかった。風景スケッチは楽しい。描いているといつも何がしかの発見がある。例えば、偶然かもしれないけれど、この建物の窓枠は十字のシンボルになっている (残念ながら、絵に該当部分を描き込めていない)。目立つところに十字のシンボルを立てなかったのは、創設者の配慮なのかもしれない。誰かの意思が見える建物はとても魅力的だ。取り壊される前に見に行けて良かった。