雨と生えたての木 (24.2 x 33.2 cm)
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あいかわらず玉川上水にいる。きょうは雨だった。
雨のスケッチ、乾かない、絵に雨がぼたぼた落ちてくる、跳ねた雨で緑道の土が飛んでくる (絵の中の点々もいくつか土だったりする)。描いてるはしから絵がぐしゃぐしゃになる。だけど結構楽しい。そういう状況なりに、いま描いているものを持ち帰るとして、どうするといいだろう?みたいなことを考えたりする。
緑道、若木がたくさんある。秋にはどんぐりがたくさん落ちてくる。
玉川上水緑道 (33.2 x 24.2 cm)
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けさ、夢の中でスケッチを取っていた。山奥のダムを展望台から描こうとして「どうもしっくりこない」とか言いながら悩んでいたら、同行の人から「これ、使ってる筆が細すぎるんじゃない?」という声が上がって、はっとして目が覚めた。
「それはある」と思った。ここのところ、細い面相筆ばかり使っていた。絵の具を溶くとき、一度に取れる量が少なくて困ったりした。
大きい筆を使うことにした。
日本画で使う連筆。どうしてもスケッチバッグに入らなかったので、竹軸の端をのこぎりで落として、マスキングテープで塞いだ。紙もふた回り大きくした。
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のびのび描ける!これでいこう。思い切りだ思い切り。
ランニング中の女性から「素敵ですね。水彩ですか」と声をかけられた。その後、絵ができあがるまで横で見ていてくださった。水彩の教室に通いはじめて、ご自宅でも花を描いているとのことだった。鉢植えの花を描いた絵を携帯で見た。お花への愛情を感じる絵だった。いいなあと思った。描いた人が「何かを大事にした」とわかるのはいいなあと思う。本当、それだけでもいいと思う。
玉川上水緑道 (21 x 15 cm)
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玉川上水に新緑を描きに行っている。
同じ場所にずっと通って描いていると、なんとなく「もしかして、こういうこと?」と思う瞬間がある。
昨日この絵を描いている時「今、なんかわからんけど、絵から一気に"光が消えた"」と思う瞬間があった。左側のどこかだと思う。そこに絵の具を置いた瞬間、紙の中から一気に"光"がなくなった。
たぶん、紙の各所が放つ反射光と、風景の各所が放つ光の特性が「食い違う」時、そういうことが起こるんだと思う。
まとめると「よく見て描こう」ってことになる。
それできょうは、落ち着いて「よく見て描く」ができるように、絵の具を濃いめでだぶだぶにといて、ゆっくり、紙の上端からおろして、ちょっとずつ描くようにした。
きょうの絵もまだ食い違いが大きい。それでも、昨日より少し近づいた。
もも (はがきサイズくらい)
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絵の教室で先生やクラスの方とお話ししているとき、口が勝手に話す。
だいぶ前の教室で「自分がこの世から消える時、描いた絵が残るとして、整理する人が『この絵、捨てたら呪われそう』とかでなく『あ、いいな。少しとっておきたい』と思ってもらえるような絵が描きたいです」と言ったら、笠井先生は「もう死んだ時のこと考えてるの」とおっしゃって笑った。クラスの方も笑っていた。言った自分は、言ったことを耳から聞いて「え、そんなこと考えてたの」と思った。
最近、自分の描いたものを見返して「呪われそう」と思う。
ずれている。
絵を売って生きていきたい。自分の好きなものを好きなだけ込めて、大切に描きたい。気楽な気持ちで大事に描いた絵を、気楽に売って生きていきたい。