アトリエ・サルバドールの冒険

水彩絵描き・ますとみけいのBlogです。

絵を描く機械

数年前「絵描きになりたい」と思ったとき、実際になりたかったのは「絵を描く人間」というよりも「絵を描く機械」だった。機械のように坦々と絵を生成する。内部に独自の型を持っていて、型を使って出力する。坦々と入力を受け、坦々と処理し、坦々と出力する。そういう状態の人間になりたかった。この目的を叶えるために、どのような学習過程を踏めば良いのか知りたかった。

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脳や神経やコンピュータについて研究をしていたのも、究極的には「絵を描く機械」の作り方を知るためだった、かもしれない。実際にやってる当時は、そんなこと思っていなかった。自分はいつも自分自身の行動意図を分かっていない。数年経ってから「ああ、こういうことがしたかったんだ」と気づく。

絵の学校に入り、先生や友人や絵描きの先輩方と交流して、また自分でも絵を描くようになって、当然、自分が無茶な考えをしていることに気づく。絵を生む鋳型、そんなものはない。けれど、今も頭のどこかから「"鋳型"が欲しい...それさえあれば」という気持ちがふつふつと湧いてくることがある。きょうがそうだ。「悩み苦しむことなく、ただ"何がしかの良い結果"が欲しい」という怠惰な気持ち、それが形を変えて表面化してくる。

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「楽がしたい」「楽になりたい」という気持ちは発明の源になるらしい。ロボット掃除機は人間の代わりに床の掃除をやってくれる。食器洗浄器も人間の代わりに皿を洗ってくれる。機械はつまらないルーチンワークから人間を解放してくれる。じゃあ「絵を描く機械」は何をするのか。つまらない創造行為から人間を解放する?「つまらない創造行為」とは...。 

人間機械論―人間の人間的な利用

人間機械論―人間の人間的な利用