数年前「絵描きになりたい」と思ったとき、実際になりたかったのは「絵を描く人間」というよりも「絵を描く機械」だった。機械のように淡々と絵を生成する。内部に型を持っていて、型を使って出力する。淡々と入力を受け、淡々と処理し、淡々と出力する。そういう状態になりたかった。この目的を叶えるために、どのような学習過程を踏めば良いのか知りたかった。
脳や神経やコンピュータについて研究をしたのも、究極的には「絵を描く機械」の作り方を知るためだった、かもしれない。実際やってる当時はそんなこと考えもしなかった。私はいつも自分の行動意図を分かっていない。何年もたってから「ああ、あのとき、こういうことがしたかったんだ」と気づく。
絵の学校に入り、先生や友人や絵描きの先輩と交流して、自分でも絵を描くようになって、当然、無茶な考えをしていることに気づいた。「絵を生む鋳型」そんなものはない。けれど、今も頭のどこかから「"鋳型"が欲しい...それさえあれば」という気持ちがふつふつと湧いてくることがある。きょうがそうだ。「悩み苦しむことなく、ただ"何がしかの良い結果"が欲しい」という怠惰な気持ち、それが形を変えて表面化してくる。
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「楽がしたい」「楽になりたい」という気持ちは発明の源になるらしい。ロボット掃除機は人間の代わりに床の掃除をやってくれる。食器洗浄器も人間の代わりに皿を洗ってくれる。機械はつまらないルーチンワークから人間を解放してくれる。じゃあ「絵を描く機械」は何をするのか。つまらない創造行為から人間を解放する?「つまらない創造行為」とは...。

- 作者: ノーバートウィーナー,Norbert Wiener,鎮目恭夫,池原止戈夫
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2007/06
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