新宿御苑

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新宿御苑 (Shinjuku Gyoen National Garden) 33.2 x 24.2 cm

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横浜画塾のスケッチデーだった。かなりの高温・多湿の日で、笠井先生もクラスのみなさんもずっと「あつい」と言い続けていた。塩飴や梅干しを食べながらスケッチした。

11時に笠井先生のデモンストレーション製作を拝見して、その後自分も描き始めた。先生の筆のタッチを真似してみようとして、草木やこもれびを描いてみて、ぐしゃぐしゃになった。講評会では先生から「暗がりの部分が実際よりも明るい」とコメントを頂き、解散後に現地で加筆した。少しだけ足そうと思ったのにやたら描いてしまって、終了後のお茶会に間に合わなかった (すみません...。)

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帰り道に色々考えた。

1年くらい前、曜日が異なるクラスの塾生さんから「あなたの画風は水彩よりも油絵に近い。油絵に変わったら良いのではないか」と言われたことがあった。「目の前のモチーフを何が何でも紙の上に表す」という気持ちで描くと、どうしても絵の具の溶き方が濃くなって、油やガッシュの絵の雰囲気に近くなる。水彩由来の魅力的な特徴が飛んでしまってはいる、けれど、自分では気に入っていたりする。

なんで透明水彩を選んでしまったんだろう。挙動は繊細で、全然思ったように描けない。何も考えず筆を動かせば、色は濁るし、不要なエッジがあちこちにできてうるさくなる。かと言って、何か考えて慎重に筆を動かせば、動きのないのっぺりした絵が出来上がる。水彩紙も絵の具も筆も高い。そもそも今時、絵画を製作して生活するなら、圧倒的にデジタルが強い。こんなマゾヒスティックな製作環境を選んでしまったのは、もはや病理に近いものがあるんじゃないのか。

少なくとも自分がこんなに取り憑かれているのは、何かに根ざした意味があるのだと思う。