アトリエ・サルバドールの冒険

水彩絵描き・ますとみけいのBlogです。

頭の中から声がする (ロンドン研修の思い出)

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Fortnum & Mason on Sunday Night (日曜夜のフォートナム&メイソン)

8年前の冬、ロンドンで描いた水彩画。

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「海外行くと人生変わるよ」と聞く。本当だと思う。私の人生も変わった。 

 2011年の6月から12月、当時東工大の学生だった私は、大学の博士一貫教育コースから資金援助を受けてイギリス・University College London (UCL) のEar Instituteという聴覚専門の研究機関に留学した。申請書には「世界有数の研究機関で学び、日本に成果を持ち帰り、自分自身も研究者として成長する」というようなことを書き込んだ。

渡航前には、英語のリスニングとスピーキングを集中的に練習した。(アルクの教材「ヒアリングマラソン」シリーズにはかなりお世話になった。) 渡航後、最初は全然話せなかった。レジの支払などの日常会話はテンプレートで何とかなっても、研究のディスカッションはどうにもならない。いつも必死で会話した。"Why?"と聞かれては "but" "not" "should" "must"... "maybe,ok"と返しながら、毎日しどろもどろで英語の出力を繰り返した。

そのうち、一つ気づいたことがあった。

私は、話し言葉の中に"should"のつく回数が多かった。

"I should have done so."

(そうしておけば良かったんですが)

"Because I think I should not do so."

(というのは、そうするべきではないと思ったのです)

研究所の先生からも "shouldとmaybeが多い"と言われるようになった。 (そう言う先生もnotとsholudとmustが多い人だったように思う。) コミュニケーションの話として面白いと思ったので、自分自身も会話の最中、相手がどの程度"should"を使うか気をつけて聞くようになった。

3ヶ月も英語圏で生活していれば、会話パターンが体感としてわかってくる。いわゆる「英語のシャワー」の効果か、簡単な会話ならだいぶ滑らかに話せるようになった。頭の中に「英語の回路」に近いものができたらしい。嬉しかった。UCLにはEU各地から学生が集まってくる。それぞれ母国語も文化も異なる人間同士、英語でコミュニケーションを取れるのがとても楽しかった。

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10月頃から、研究の雲行きがあやしくなった。予想と異なる実験データ、追加実験の増加、帰国までに全てのデータを取らなければいけないこと、この研究が論文にならなければ、博士課程を修了できないこと。精神的な余裕がなくなった。ロンドンの日照が短いのも良くなかった。冬のロンドンでは午前10時に日が昇り、午後3時には沈んでしまう。ストレスと長い夜の中、身体に不調が現れ始めた。

頭の中で走り始めた「英語の回路」を押しのけて「日本語」が勝手にやって来るようになった。

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いいかげんにしろ。

こんなことに何の意味がある。

本来なら、あの時そうするべきではなかった。

もう何をしたって無駄だ。

こんなことではダメだ。

うまくできないなら、お前はいらない。

お前は周りを困らせ、迷惑をかけ続けている。

お前のような人間は、生きていたって仕方ない。

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毎晩研究所から帰って、寒いFlatの歪んだベッドで、安手の布団にくるまって、自分を罵る"内なる声"を聴き続けた。気が滅入った。同時に「こういう罵倒のフレーズというのは、脳のどこかに”日本語で“保存されているんだな」と思った。今までただ漠然と「嫌な気分」と思っていたもの、私が英語で"not"や"should"や"must"と言っていたものの一端が、自分の思考の前面に強く浮き出てきたことが分かった。

私が留学先で行っていた実験は、認知科学の分野で存在が仮定されている「ワーキングメモリ」という記憶機能に関するものだった。停滞する思考の中で、研究者としての自分も思考する。「この現象にワーキングメモリは関係しているだろうか、いや、長期記憶に関連する機能が絡むんだろうか...」...甲高い耳鳴り、ズキズキ痛む両奥歯、船酔いのようなめまい、全身の冷えと筋肉の痛み、手足のしびれ、不適切に湧いてくる怒り、そういう自分の状態を、突き放したように遠くで観察する自分がいる。そのとき思った。もしかして私は、私自身を「負荷の強い環境」に放り込み、どのような挙動を示すか試すためにロンドンにやってきたのではないだろうか。自分はいつも、自分が本当は何を望んでいるかを分かっていない。分からないまま人の様子を見てオロオロ動き、思ってもないことをオドオド喋る。そしていつも頭のどこかで、抽象的な、その場に全く関係ないことを考えている。私は、確かに何かを探しにロンドンへ来た。きっと、自分が何者なのかを知りに。じゃあ、申請書に掲げた"高邁な使命"は何だったのか。無駄金使いか。思考の一部がまた喋る。「今まで "自分自身の言葉"として取り扱っていた言葉を "別の実体が話す言葉" として取り扱う。そうすることで、課題を浮き彫りにする」全く意味が分からない。私は私のことが本当に分からなくなった。心身の不調がさらに激しくなり、研究が継続できなくなった。

2011年12月21日に帰国した。指導教員の先生から「しばらく休んだ方がいい」と言われて、部屋を片付けたりしながら数ヶ月過ごした。それから小田急相模大野のホームに立っている時「絵描きになろう」と決めたのだった。

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思考は言葉が制御する。そして「ない (not)」「べき (should)」「でなければならない (must)」は人の思考を追い詰める。他者に向けて使うとき、言われた人の思考を縛る。自己に向けて使うとき、自分自身の思考を縛り、自分自身を疲弊させ、最後に自信を失わせる。自信を失った人間は動けなくなる。ロンドン研修の経験を通して、私は自分の内側が大量の「ない」「べき」「でなければならない」で満ち満ちていることに気が付いた。同時に全ての自信を失いきって、ついに動けなくなった。

私は長い間「何としても研究者に"ならなければいけない"」と思っていた。しかも、ただの研究者ではなく「素晴らしい研究者」にならなければいけなかった。そしてあっさり挫折した。中島敦の山月記は今も私の心に響く。私が「絵描きになろう」と決めた心理は、李徴が詩人になろうとしたのと同じ心理だったと思う。ここには、まだ折り合いがつかない居心地の悪い感情がある。でも、今はこれで良いと思う。水彩画をはじめたのはロンドンだった。街の風景がとてもきれいで、自分の手でスケッチを取ってみたかった。UCLの近くの本屋の文具売り場で、初心者用の水彩キットを買った。わくわくした。小さい頃から絵を描くのが好きだった。大学院に入ってからずっと、そのことを頭のどこかに置き去りにしてしまっていた。李徴も詩を詠むのは好きだったと思う。両耳の耳鳴りは残ったけれど、あの研修をきっかけに私の人生は良い方に変わった。ロンドンに行けて本当に良かった。

今もよく「私は素晴らしい絵描きでなければならない」と自分の思考に追い詰められる。怠惰が湧いてすぐ筆を持てなくなる。こういう時、青空文庫で山月記を読み返したりしながら「まあ、研究者目指してた時も似たような感じだったな」と思い返して、深呼吸したり苦笑したりしながら、とりあえず描く。

李徴が虎になるのはどうしたら防げたんだろう。虎が泣きながら詠んだ詩を聞いて、袁傪が「足りない」と感じたものは何だったのか。まだ分からない。私も虎に近いので...。今のところの感覚としては、「自分のため」だけに描くのでなく、誰かや何かに「捧げる」ような気持ちで描く時、自分のことは何でも良くなってくる。描きあがった絵も不思議な力を持つ気がする。

 

山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)

山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)