スケッチと絵

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スケッチ: 京王相模原線多摩川橋梁。河原に降りて砂利の溜まった州のところから描いた。

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絵の教室の同じクラスに、スケッチとランニングが物凄く好きで、毎日関東平野の広い範囲をランニングしながらたくさんスケッチをする方がいる。建物や乗り物を描くのが特にお好きで、私なら「複雑そう」と思って描くのを躊躇してしまうようなものも、あっという間にどんどん描く。どのスケッチも不思議な迫力がある。いいなあと思う。

触発されて、去年から外でのスケッチの数を増やすようになった。「描きたい」と思ったものを、その場ですぐ絵にできる人に憧れがあった。とにかく行動力のない人間なので、いつも考えるだけ考えてなかなか動けない。前よりはましになったけど、基本的にインドア派で、部屋で考えを転がしている時間が相当長い。

きょうも「スケッチ」と「絵画 (タブロー)」の違いについて考えていた。もっと言うと「スケッチをするとき、どこまで"実際"を描くか」について考えていた。昼の多摩川で画材を広げて、空想のガンジス川を描く人間はスケッチをしていることになるんだろうか。特に答えは出ていない... 絵を描いていることになるんだろう。

風景スケッチの描き方を解説する本で、講師の先生が「電柱や電線は邪魔なので省略しましょう」と仰っていることがある。興味深い話題だと思う。「一幅の絵」になりたかった街がある。だけど電柱と電線に邪魔されてしまう。それで、せめて絵に描く時くらいは、それらは"なかったこと"にしてしまう... これはれっきとした現実の否定だ。というか、電柱と電線の方が「街が絵になる」ことを否定したようなものなのか。

私は考えるのが好きなので、部屋でこういうことを考えているとき幸せを感じる。

 

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