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(3から続く)
私とSさんはKさんの携帯に連絡しつづけた。
午後の3時を過ぎても、Kさんからの応答はなかった。
Sさんが言った。
「家で倒れてたりするんじゃないですか」
「これはもう、私たちではまずいですね。研究所の人に話すしかない」
「研究所に話して大丈夫なんでしょうか。事情がわかったら、Kさん、職を失うかもしれない。僕、責任持てないです」
Sさんは以前、Kさんのデスクのそばで "酒瓶のようなもの" を見たらしかった。
「私だって責任持てないですよ...だけど、Kさん家で倒れてたら、もう本当にまずいです」
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研究所の管理室に行って状況を説明した。
研究所の方はすぐ対応してくださった。
「わかりました。こちらから彼に連絡します」
「よろしくお願いします」
「私達が彼を病院へ連れて行きます。産業医とも話をします。K君は一人暮らしで、ご実家は東京からかなり遠い。研究所がサポートするしかない」
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居室に戻って、気が抜けた。
Sさんの言うように、私はKさんの人生に関して、何か重要な引き金を引いてしまったらしかった。私が言わなくても、いずれ誰かがKさんに言ったかもしれない。でも、私が言ってしまった。研究所にもアクションを促してしまった。
私は以前、個人的な興味から依存症について調べていた。依存症の経過の厳しさについて、いくつかの書籍で読んで知っていた。この病は、自力で回復することが本当に難しい。誰も何も助けなければ、Kさんはこのまま沈んでいってしまう。
だけどこれは、私がやって大丈夫だったんだろうか。
私は頭の中で、Kさんと自分の関係性を整理した。私は、たまたま派遣されてきた外部の技術支援員だ。Kさんは私の上司で、私はKさんの部下だ。私は、Kさんと話しているととても楽しい。私とKさんは仲が良いかもしれない。なぜならお互い「人とうまく話せない」「人とうまく仲良くできない」タイプの人間だからだ。依存症の根底には、他人と関わることに難を抱えた人間特有の病理がある。私はそれを肌で感じる。私も同じ素質を持っているからだ。現状だって病みあがりに近い。それから、病んだ人間が病んだ人間と関わるときには、とても色々なことが起こりうる。
だから、関わってしまった以上、私も覚悟を決めなくてはいけない。
私は「今後Kさんが亡くなったとき、その死の責任を自分が負わない」と心に決めた。冷たく聞こえるかもしれないけれど、そうする必要があると感じた。
気持ちを整えて、もう一度Kさんの携帯にメールを送った。連絡がないためとても心配していること、研究所の方に状況をお伝えしたこと、今後研究所からサポートがあること、Sさんも心配していること、また食堂で漫画や音楽の話をしたいことなどを書いた。
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数日後、Kさんが居室にやってきた。
髪を短く切り、おろしたてのYシャツを着ていた。
「Kさん!お久しぶりです」
「お久しぶりです」
Kさんは坦々としていた。
「大丈夫ですか」
「大丈夫ですよ。研究所とも話をしました」
「とにかく、良かったです。病院へは行かれたんですか」
「行ってきました。これからしばらく通院します」
「通院...入院ではないんですね」
「通院でいいそうです。リーフレットとかを大量にもらった」
「どちらの病院ですか」
「三鷹です。吾妻ひでおが入院してたのと同じとこかもしれない」
「... 良かった ? ですね...」
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お昼休みに食堂へ行く途中、Kさんが話してくれた。
「ここ3日かけて、酒を抜いていました。きつかった。途中で幻覚を見ました。天井にうごめく大量の何か...寝ずの修行と同じくらい厳しかった。だけど、さっぱりした。生まれ変わった気分です」
「良かったです。ずっと続けていけたらいいですよね」
「そうですね」
私は、前から考えていたことをKさんに提案してみた。
「Kさんはこれから何か、お酒以外の楽しいことを見つけられたらいいんじゃないでしょうか」
「楽しいことですか。修行をやってるので他はいいですが」
「Kさんの修行、お話を伺う限り "苦行" に聞こえるんです。もっと "楽" の方向性で何か探したらいいと思うんです。楽しいことをして生きた方が毎日楽しいと思うんです。せっかく生まれ変わられたんですし。新しい趣味を始められてはいかがですか。例えば、絵とか」
「絵は描きません。」
即答だった。
「...前、絵がお好きで『絵描きになりたかった』と伺ったので...」
「私、絵は描かないんですよ」
「いや、そんな、本格的でなくていいんです。趣味の絵を描くのは楽しいです。特に水彩はいいですよ。一回やってみませんか。紙の上に水を引いて、そこに絵の具をぶわーって垂らすだけで、すごい和みます」
「やりません。」
「いや、ちょっとだけでも...」
「やりませんよ」
「......」
(5へ続く)
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