自信を持って生きる (亡くなったKさんの思い出) (5)

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...

(4から続く)

 

Kさんがあまりにかたくななので、私はむしろ面白くなってしまって、食堂に行くたび、しつこくKさんに「絵を描きませんか」と言い続けた。

「Kさん」

「本当にしつこい人ですね...絵の話でしょう」

「おっしゃる通りです。描きませんか」

「描きませんよ。あなたが描けばいいじゃないですか。最近描いてますか」

「水彩がいいと思うんです」

「水彩だろうがなんだろうが描きません。あんな難しい画材は使いません。やり直しがきかないでしょう」

「それがいいとこだったりするんです。あと、ちょっといい紙使うと、案外色々できたりします。これが結構面白くて...」

「描きませんよ。あなたが描けばいいでしょう。描けるんだから」

「描けてるうちになんか入らないです。本とネットで聞きかじって、適当やってるだけなんです。それでもなぜか、なんとなく絵が仕上がるところも水彩の不思議でして...」

「何を言っても描きません」

「以前は何を使って描かれてたんですか」

「油ですが」

「水彩いいですよ!セットアップが気軽なんです」

「どこが気軽なんですか!あんな難しい画材。居室に戻りましょう」

「はあ...」

...

しつこく言い続けたある日、居室でKさんが言った。

「わかりました。あなたに見せてあげましょう」

「何をですか」

「私が描いた絵です」

「え?」

Kさんはデスクの引き出しから、口を糸巻きで止めるタイプの大きな書類封筒を取り出した。封筒は紙で膨れていた。

「まさか、これ全部絵ですか」

「いえ」

Kさんは封筒から紙束を取り出して、中から一枚のはがきを見せてくれた。

ファンシーなキャラクター達が、笑顔で手をつないで輪を作っていた。

「何ですかこれ」

「年賀状です」

「...すごいかわいいです」

「...」

「Kさんが描いたんですか」

「『ファンシー動物イラスト講座』みたいな本を見ながら描きました」

「このぺったりした着色、どうやってやったんですか」

「プリントゴッコです。使ったことありますか。簡単に多色刷りができるんです。今は、もうないのかな」

「これ、線と色の位置、少しずつずらして押してますか」

「そう。ハイライトを作るんです。こういうのいいですよね」

「よくこの方法をご存知でしたね... 封筒に入ってる他の紙は何なんですか」

「ああ、これは」

紙束を受け取って、中身を見た。

残りの分厚い紙束は、すべてこの年賀状のための版下、下描き、初期検討のためのメモだった。キャラクター1匹1匹の位置、線の細さ、色の塗り分け、色ずれの位置が、A4コピー用紙何十枚分にも渡って細かく調整されていた。

「これ、全部、この1枚のはがきのためですか」

「そうです」

「この制作、どれだけかかったんですか」

「忘れました。結構かかった。こうして見ると、ライオンさんはうまく描けたかなあ。難しいですよ。どれだけいじっても、何かバランスがおかしい気がして。プロフェッショナルの作るものには、どこまでいっても及ばないですね。いじってるうちに嫌になってしまう」

「...」

「あなたの目から見て、どこがおかしいと思いますか」

私は、Kさんの気持ちが痛いほどわかった。

この人は、技術や経験がまだ少ない段階でも、使われている仕組みを理解して「ある程度のもの」「よく似たもの」を真似して作れてしまうのだ。だけど、どんなものでも「頭で理解したこと」では真似のできない領域がある。必ずある。やってる本人も、そのことはよくわかっている。だけど「追い込めばいけるんじゃないか」と思ってしまう。そして目の前の作品に固執してしまって「大事なことがなされない」まま、作品の細かいところをいじりすぎてしまう。そうして、作ったものに満足できず、疲弊してしまう。これを繰り返しているうち、だんだん、作ることが嫌になってしまう。

私は悲しくなってKさんに言った。

「もう、十分かわいいです。これはこれでいいと思うんです。年賀状としての役割も果たしました」

「そうかなあ」

「Kさんご自身、どこを直したいとかわからないでしょう」

「考え始めると色々ありますが」

「いや、やめましょう。むしろ、また描いてみたらいいと思うんです」

「私は、一つのものを作るのにものすごく時間がかかるんです」

私はこの時、自分が何をすればいいのかわかった。

「らくがきです」

「何です、急に」

「絵を描くにしろ、何か作るにしろ "一球入魂"みたいにやり続けるから辛いんです。適当にはじめて、まず描くことを楽しむんです。らくがきから始めましょう。気楽な気持ちで楽しみながら、とりあえず何か描くんです」

「...気づきがあったようで何よりですが」

「やりましょう!」

「私はやりません」

...

私は企画の建屋に行って、YさんにもKさんの年賀状を見てもらった。

「何これ..すごいかわいい」

「かわいいですよね。びっくりしました」

「Kさん、絵描くんだね。しかもこんなかわいい絵。また描いたらいいのに」

「そうですよね。私もKさんの絵をまた見てみたいです」

 

 

(6へ続く)

...

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