自信を持って生きる (亡くなったKさんの思い出) (8)

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...

(7から続く)

 

新しい仕事は難航していた。

私とSさんは、Kさんがいない時に居室で状況を相談しあった。

「私たち、いっそ、できないことはできないって、Kさんに言った方がいいと思うんです」

「そんなこと簡単に言えませんよ。"できない"って言ったら、"能力がない"って思われちゃうんじゃないか、とか...そうしたら職を失っちゃうんじゃないか、とか... 僕は、向こうの家族を路頭に迷わせるわけにいかないんです」

Sさんは中京地域から単身赴任で東京に来ていた。

「そうですよね」

「だけど、今来ている仕事は量もとてつもないですし、内容も難しすぎます。実験設備の仕事も任されているから、これ以上難しい仕事が増えたら、もう手が回りません」

「Yさん、早く戻ってきてほしいですよね」

「そうです。来年Yさんが戻ってくるまで、何とか踏ん張りたいです」

...

組織外の研究者の方を交えたミーティングの後、Kさんと話した。

「この仕事は、私が担える仕事ではありません」

「そんなことはない、あなた方の仕事ですよ」

「私は、Kさんが何を探しているのかわかりません」

「ですからずっと、何らかの"兆し"だと言っているでしょう」

「何らかの"兆し"って何ですか」

「兆しですよ。何かが起こるのです。それは、はっきりとはわからない」

「起こる何かって、何ですか」

「わからないのです。でも起こる。何かが始まる"兆し"が確かにある」

「...」

「そうした"兆し"を捉えるすべを磨くのが、このプロジェクトの趣旨です」

それからKさんは「あなたならわかると思ったのに」というようなことを話した。

このやりとりで、私の "引き金" が降りてしまった。

「嫌になりました」

「...」

「あなたは、ご自身の目でデータを見ない。グラフを描かない。私達に何か探せと指示をする。でも、何を探しているのかはわからない。あなたご自身がわからないまま、私達に『とにかく何か探せ』と言う。それで『見つからない』と言って落胆し、私達の責任にする。やってられません」

Kさんは黙っていた。

「力学に詳しいのはKさんです。少なくとも私はにわかです。あなたが見当をつけることなく、なぜSさんや私が、まだ誰も見もしない、知りもしない、あるかどうかもわからない"何らかの現象"を探しているんですか」

「...」

「大規模データの取り扱いを、一度でもいいからあなたがやればいいんです。まず、グラフを描いてください。Yさんでも、Sさんでも、私でもなく『あなたが』描けばいいんです。そうしたら、私達が今どれだけ茫漠としたところに放り込まれているか、すぐわかるはずです」

Kさんは黙ったままだった。

私は心の中で決めていたことを伝えた。

「来期、私はいないものとして進めてください」

「ああ、そうですか」

「今日は失礼します」

...

帰りのバスの中で、今日起きたことを反芻した。

私は「自分の代わりに、自分の大事なことをさせようとする人間」のもとで働くことができない。怒りを溜め込んで引きこもったり、感情的になったりして、これまでも頻繁にトラブルを起こしてきた。

自分はやらないのに、人に多大な期待をかけて、できないとけなしてくる行為が大嫌いだ。そういう人間の心理が痛いほどわかるから余計嫌なのだ。自分の嫌なところを見せつけられている気持ちになるのだった。

自分がやらずに人にやらせていれば「自分ではやらないけど、やればできるつもり」でいられる。自分でやるのが嫌なこと、やる自信がないことと向き合わずに、ただ結果だけを受け取れる。「やってみたけどできない」恐怖から、うまく目を背けていられる。

そうすることで、心の中の「理想通りの完璧な自分」が壊れないように守っているのだ。そんな「完璧な自分」への期待をそのまま人に渡しているから、要求のレベルは異常に高い。「できて当然」と思っているから、できたことを褒めたりしない。感謝もしない。むしろ「私よりできるなんて」と苦々しく思う。そして、期待通りの働きがなければ、大いにけなしてくる。

おそらく、かつて自分がされて嫌だったことを、そのまま人にやっているのだ。「高い期待に応えられない」状況を、破滅的なできごととしてとらえているのだ。「やってみたけどできない」事態を、なんとしてでも避けたいのだ。

嫌な考えばかり頭に浮かんだ。

Sさんのことを考えた。Sさんはじっと堪えている。私みたいにいきなり職場でキレたりしない。自分と家族の生活のため、粘って仕事を続けている。

...

翌日、Kさんはずっと黙っていた。

Sさんがいなかったので、居室はとても静かだった。

午後3時、お茶の時間になった。

ブルボンのアルフォートを持っていった。

「おやつを持ってきました」

「これ、花輪和一が『刑務所の中』で食べてたやつですか」

「読んだことないんです」

「今度貸しますよ、って、あ、ああ、この前、あの本は捨てちゃったんだ」

「...」

「先日、自宅の断捨離をしたんです。色々処分した。ああ...あの本...なんで捨てちゃったんだろう。捨てなければ良かったのになあ...」

「本ならまた買えますよ。Amazonで買ったらいかがですか」

「まあ、そうですね」

「どんな内容ですか」

「刑務所生活のルポ漫画です。描写がとにかく細かい。特に、食事シーンがいい。休憩時間、配給のアルフォートの数を数えて大事に食べてましたよ」

...

お茶を飲みながら、Kさんが言った。

「あなたみたいにプログラムができるのはいいですね」

「学生時代、スキルは裏切らないと思って必死に身につけました」

「どうやって勉強したんですか」

「低レベルの参考書を複数買って演習しました。わかる範囲が増えたら、前よりレベルの高いものをまた複数買って...それを繰り返しました。でも、一番伸びたのは海外研修の頃です」

「海外行ったって言ってましたね」

「ロンドンに行ってきました。英語が話せなくて、全然研究ディスカッションできなかったんです。喋れないし聴けないから、とにかく大変でした」

「ああ」

「それで、せめて実験用のプログラミングはしっかりやって "会話できてないけど内容はわかってます" アピールをしたかった。あの時の実践でかなり伸びました。研究は、最終的にとてもこじれました」

「私もドイツ行ってたことがあるんですよ。楽しかったな」

「ドイツ語、覚えるの大変でしたか」

「まあなんとかなりました。案外、なんとかなるもんですね」

「Kさん、プログラミングも、やってみたらいいと思うんです」

「...うーん」

「やってみたら、案外できたりします。私も最初めちゃめちゃでしたが、いろいろやってるうちになんとかなりました。それを生かして、今もお仕事させていただいてます」

「私、構えちゃうんですよ」

「...めちゃめちゃわかります」

「...」

「だけど、案外やってるうちになんとかなるんです」

「そうですかねえ」

「ここ数年『やってるうちになんとかなる』って実感する機会が増えました。こちらの研究所でのお仕事をいただいた時も、本当怖かったんですが、勢いで働きはじめて、今はとても良かったと思っています。絵もそうです。途中だいぶきつかったですが、手が進むようになりました」

「良かったですね」

「思うんですが、やらないでいると怖いことも、やると怖くなくなるんです。失敗して痛い目にあったりもするんですけど、怖いのは格段に減って、次以降、動きやすくなるんです」

「ああ」

「プログラミング、いかがですか。奥深いですよ」

「いいですね」

「ぜひ」

「そのうちやるかもしれません」

冬になった。

 

...

(9へ続く)

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