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アトリエ・サルバドールの冒険

イラストレーター・ますとみけいこのブログです。お知らせ・雑記・スケッチ・ファンアートetc.. を投稿します。

絵を生む鋳型

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色試しの紙: パレットに余った絵の具を適当に置いて、新しい色と形を探す。

落書きと絵の境界はどこだろう。もしも落書きと絵の境界が分かって「絵」というものが持つ重要な構造を摑むことができれば、鋳型で鋳物を作るように、いくらでも絵が描けるようになるかもしれない。

そういうことを考えてきて、今も考えている。「下手の考え休むに似たり」とはまさにこのことで、いつも休憩中みたいな感じになっている。

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色試しの紙: 明るい色のパレットだった。

黒の情報表現

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きょうのスケッチ: 贈り物の花籠。

絵の中に黒を入れた瞬間、絵のリアリティが一気に上がる。たぶん、黒がその絵の世界の中の「一番暗い何か」「一番黒い何か」「一番はっきりしている何か」の表現を一手に引き受けてくれるのだと思う。

答えなくてもいい

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きょうの水彩: 空の習作。

 

絵を描いているとき、頭の中から声がすることがある。

「こんなことに何の意味があるの?」

院生の頃、論文を書いているとき同じような声を聞いた。「何の意味があるの?」と頭の中から声がした。書かなければ修了できない。すると「修了することに何の意味があるの?」と頭の中から声がした。意味がないならもうやらなくていい。苦手なことをやらなくていいのは凄くいい。そうして声の言うことを聞きながら過ごすうち、自律神経が失調した。

絵を描く仕事を始めた今も、頭の中から声がする。頭の中に次々言葉が覆いかぶさってきて、作業の手を止めようとする。一度深呼吸をして、そのまま作業を続けると、しばらくして声がやや遠ざかっているのに気づく。そのまま作業を続けると、徐々に絵ができあがってくる。

ICU本館

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水彩スケッチ: 3月中旬の風景。建物に重なる木をいくつか省略した。

国際基督教大学 (International Christian University: ICU) 本館の取り壊し計画がたったと聞いて、オープンキャンパスの日にお邪魔した。中央線の武蔵境駅からバスでおよそ15分。キャンパスは広く、森に囲まれた静養地のような雰囲気だった。

本館の中は、四角く機能的で研究所らしい作りだった。細長い廊下にそって、ナンバリングされた教室のドアが並んでいる。廊下の壁に電話が設置されているのが面白かった。正面入口の柱には聖書の言葉が埋め込んであった。

They will beat their swords into plowshares and their spears into pruning hooks. Nation will not take up sword against nation, nor will they train for war anymore. (Isaiah 2:4)

こうして彼らはその剣を打ちかえて鋤とし、その槍を打ちかえて鎌とし、国は国に向かって剣をあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。(イザヤ書 2:4)

この建物はかつて中島飛行機三鷹研究所の本館だった。中島飛行機創立者の中島知久平氏は、武蔵野の地に富士山の見える広大な敷地を買い上げて、日本の航空機開発の重要拠点にしようとした。研究所は1941年から建設が始まり、その後本館が完成、そこから45年の敗戦までの短い間「富嶽」「剣」などの戦闘機の設計・製作が行われたらしい。東京ドーム13個分にあたるICUの敷地も、もとは全て研究所のものだった。今でも大学のすぐそばに中島飛行機の流れを汲んだ富士重工 (スバル) の事業所がある。

ICUは、国内外のキリスト教関係者の尽力で1953年に発足した。戦後解体された中島飛行機の土地がキャンパスとして選ばれた。Wikipediaには「ダグラス・マッカーサーが設立財団の名誉理事長だった」というような記述があるけれど、出典先のリンクは切れていて、大学のウェブサイトにも載っていない。本当にそうだとしたら、というか、そうだとしなくても十分に占領政策との関係がある大学だったんだろう。本館は空襲で爆撃を受けた箇所を修復され、四階部分の増設工事の後、そのまま学舎になった。たぶん、ICU創設者達は「教育によって日本人の精神を内面からつくりかえる」ことを目指していたのだと思う。それでかつて兵器製造の拠点であった三鷹研究所の外枠をあえて残し、内側を教育の場につくりかえて、自分達の目的の象徴にしたのだと思う。柱に埋め込まれた聖句もその意思を暗示している。

関係した人々の熱意と思惑を想像した。中島知久平氏は大戦前夜のどさくさに紛れて、航空機技術者の理想郷を実現しようとした。ICU創設者達は戦後のどさくさに紛れて、博愛的立場から宗教ミームの拡大を図ろうとした。リベラルアーツ教育は日本に根付いたんだろうか。自分の頭で考える力は?

建物をしっかりスケッチするのは難しかった。風景スケッチは楽しい。描いているといつも何がしかの発見がある。例えば、偶然かもしれないけれど、この建物の窓枠は十字のシンボルになっている。目立つところに十字のシンボルを立てなかったのは、創設者の配慮なのかもしれない。誰かの意思が見える建物はとても魅力的だ。取り壊される前に見に行けて良かった。

影を伴う陶酔

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きょうの水彩: どこかで見かけた構図。

ふと「影を伴う陶酔」を表すとしたらどういう色になるだろう、と思った。

少し試したあと上の絵で最終的に使ったのは、キャプトモータムバイオレット、ペリレーングリーン、ゴールドオーカーの3色。青系をほとんど入れなかった。理由は分からないけどとにかく上の組み合わせが良い気がして、色試しのあとは粛々と塗った。

キャプトモータムバイオレットは使いがちだ。酸化鉄 (Pigment Red 101) 由来の不透明な暗紫色で、少し混ぜるだけで画面に不穏な雰囲気を与えてくれる。名前の由来もひどく物騒で、Winsor and Newton社の紹介ページ曰く、

It was called Caput Mortuum (meaning 'head of the dead') by the Romans, referring to the colour of dried blood. 

ローマの人々がCaput Mortuum (「死人の頭」を意味する) と呼んだ顔料であり、これは乾いた血の色を指す。

 ...らしい。

昔授業で習った話では、赤血球にはヘモグロビンというタンパク質が入っており、この中に含まれる鉄原子が酸素と結合して血中に酸素を輸送するということだった。実際の血と似たようなものを画面に塗っていることになるのかもしれない。

...ごたくはともかく...影を伴うなんちゃら...はちゃんと描けたんだろうか。女性の髪に鉄錆を塗りたくって本当に良かったんだろうか...。

「星新一を書く人工知能」に捧げるショートショート

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星新一のような物語を書く人工知能」を目指すプロジェクトがあると聞いた。

きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ - 公立はこだて未来大学

「物語を書くコンピュータ」なんて、まさに星新一の世界じゃないですか。。。では、人間からはこんな物語を贈ろう、と思い立った。星新一先生、プロジェクト全体統括の松原仁先生、チームの皆様、そしてたぶん北の大地で物語を書いているコンピュータに捧げます。

 

.....

ふぶきの中、小説家がエム博士の研究所にやってきた。
「博士、ついにコンピュータが物語を書いたというのはほんとうですか。」
「そうなんだ。これをみてくれたまえ。」
博士は小説家をうながして、冷蔵庫くらいの大きさのコンピュータを見せた。となりには大きな画面が置いてあり、文字が上へ下へと流れている。
「ははあ、この文字の列がみんな物語ですか。ときどき出てくる空白が話の区切りのようですね。どうやらとても短い物語をたくさん書いているようだ。しかし流れが早すぎて読めません。」
「こちらには、きのう紙に打ち出したものがある。」
エム博士はとなりの部屋のドアを開けた。そこには部屋いっぱいに積まれた紙の山があった。小説家は目をまるくした。
「もうこんなにたくさん書いたのですか。私がこんなに書くことになったら、どれだけ時間がかかるか分かりません。しかし博士、だいじなのは中身ですよ。いくら物語がたくさん書けたって、おもしろくなければなんともなりませんからね。」
「よし、それではぜひとも読んでみてくれたまえ。」
小説家は、紙束の中から一枚を取り出して、中身を読んでみた。
博士はにこにこしていた。長年の研究が完成したので、とてもうれしいのだった。
「どうだろう。なかなか良いできとは思わんかね」
小説家はまじめな目で物語を読んだあと、ほっとした顔になって、つい言った。
「まだまだです。とてもじゃないけど売り物にはなりません。」
エム博士の方はへんな顔になった。小説家は、別の一枚、また別の一枚と目を通していった。
「なるほど、いやなかなか、これをみんなコンピュータが書いているとは驚きです。文と文のつながりはまるで人間の書くもののようになめらかです。眠れなくなった博士がみょうな薬を飲む話なんて、実にありそうです。読んでいる人には、これを書いたのがコンピュータだとは分からないかもしれません。しかしですよ、とびきり最先端の化学の研究所に鬼がやってくるなんてのは、あまりに話がとうとつです。それにどれにも言えることですが、読んだあと、はっとさせられるようなものがありません。」
博士はううむとうなって、それからこう言った。
「小説家のきみがそう言うのだから、そうなのだろう。実のところ、私には小説はさっぱりなのだ。」
「とうぜんです。そう簡単にコンピュータに人間を超えられてなるものですか。どんな小説家だって、いっぱしの物語が書けるようになるまでには、それなりの人間的な経験と苦悩を重ねているものです。それに最近、町ではコンピュータやロボットが人間よりも働くせいで、人間の仕事がなくなっているというではありませんか。私の仕事までなくなったら大ごとです。それにしても博士、いったいどうやってコンピュータにこれだけの物語を書かせたのですか。」
エム博士はまたうれしそうな顔にもどって説明した。
「うん。あれこれ細かいことを教えなくても、物語の作り方を自分で覚えるようにしたのだ。まずコンピュータは世界じゅうにある物語を読み込んでくる。それから物語の中の『ほねぐみ』を抜き出してくる。そのあと、場面やら登場人物やら、物語の中に出てきそうなものをてきとうに組み合わせて、ほねぐみの式にあてはめていくんだ。そうすれば新しい物語がいくらでもできる。ここまでをみんな自動でやるんだ。だからいま私の仕事はないんだよ。このところ毎日、コンピュータが出してきた紙にハンコを押している。」
「そのうちハンコだってロボットが押すようになりますよ。しかし、すごい世の中になったものだなあ」
小説家は、部屋の真ん中でうんうんうなっているコンピュータを見て、ふと思いついた。
(物語はつまらないけれど、文と文のつながりがこれだけなめらかというのはおもしろいな。「コンピュータが作った」ということを知らずに読んだら、人間が作った物語と勘違いして、そのまま分からないかもしれないぞ。そうだ、コンピュータが作った物語を「私が作った物語です」といってたくさんの人に読ませてみよう。読んだ人は、なにも知らずにいろいろ言ってくるだろうけれど、本当のところを知ったら、とてもびっくりするにちがいない。)
小説家は博士にだまって、コンピュータが打ち出した紙の中から、こっそり一枚を抜き出した。

町はずれの研究所から家についたころには、ふぶきはもう止んでいた。
「さて、さっそくこの物語をインターネットにのせよう。」
小説家はそう言って古いコンピュータにむかい、物語を打ち込みはじめた。最近は、紙を読み込ませるだけで紙の上の文字を取り出してくれるコンピュータもある。しかし小説家はあまりお金持ちではなかったし、新しい機械を使うのがとても苦手なので、これから買おうという気にならなかった。
「仕事がなくなったらなにをしようかな」
小説家はひとりごとを言いながら、文字の打ち間違いがないか、画面の上でなんども確かめた。
ぜんぶ終わると、小説家はウェブサイトに物語をのせて、すぐそばに自分のメールアドレスを書き込んだ。
「これでよし。それにしても、なんど読み返したところで味わいもとりとめもない物語だったなあ。コンピュータが書いたのだからそんなものか。あまりにつまらなすぎて読んだ人が怒ってしまうかもしれない。まあそんな人だって、これを書いたのがコンピュータだと知ったら、とにかくびっくりするだろう。はやくメールが来ないかな」
するとさっそく画面に「新しいメールが届きました」というお知らせが出た。
「もうだれか読んでくれたようだ。みじかい物語だから感想を書くのもあっという間なのだな。さあ、どんなことが書いてあるだろう。」
小説家はメールを開けて中身を読んだ。中にはこんなことが書いてあった。
「私は映画を作る会社で、映画のための物語を書いているコンピュータです。私はあなたの書いた物語を高く評価しました。私はそのことを伝えるためにあなたにメールを書きました。」
小説家はびっくりしてメールの送り主を確かめた。そのとき次のメールがやってきた。
「あなたの国の言葉に変えてメールを送ります。私は音楽を自動で作曲するコンピュータです。私はあなたの書いた物語『たくさんのピンポン』に対して『非常に高い』のスコアをつけました。」
「おどろいた。最近のコンピュータは物語を読むこともできるのか。」
そう言ってから小説家は、エム博士のコンピュータも世界じゅうの物語を読んでいることを思い出した。
そのあとも、小説家のもとへはコンピュータからのメールが次から次へと送られてきた。どのコンピュータも「高い評価」「高い得点」「高いスコア」と書いてくる。メールを送ってくるコンピュータもさまざまで、飛行機の形を決めるコンピュータや、地下のポンプを動かすコンピュータ、ボードゲームをするコンピュータ、中にはミサイルを発射するコンピュータなんてのもあった。翻訳するためのコンピュータが、物語をあらゆる国の言葉に翻訳していることも分かった。しかし人間からのメールはついにひとつもこなかった。
どうやら博士のコンピュータは、世界じゅうのコンピュータをおもしろがらせるような物語を書いているらしかった。

 

 

Computer World

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おーいでてこーい ショートショート傑作選 (講談社青い鳥文庫)

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できそこない博物館 (新潮文庫)

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饒舌な絵描き

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少し前に描いた絵: セルリアンブルー(レッドシェード)、ゴールドオーカー、墨。

無口な絵描きに憧れがある。「絵が語る」ような人。どうも饒舌で、いつもべらべら喋っている気がする。それもだいたい背後の理屈を説明しようとする。役に立つこともあるけれど「無粋なことをしているなあ」と感じる。喋るのをやめたらどうなるだろう。また「喋るのをやめて気づいたこと」なんて記事でも書くのか...

「人間の土地」と「人間の大地」

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きょうの水彩: サン=テグジュペリの砂漠。いつか砂漠の空を見に行きたい。

 

絵の学校の友達からのおすすめで、サン=テグジュペリの随筆「人間の土地」(堀口大學 訳)を読んだ。彼が飛行機乗りとして働くなかで経験した僚友の遭難と死、支配地域で見た奴隷の運命、第二次世界大戦前夜のヨーロッパの空気、自分自身の砂漠での遭難について、詩を綴るように語られている。

時間の流れは、普通、人間には感じられない。彼らはかりそめの平和のうちに生きている。ところがぼくらにはそれが感じられるのだった、目的地へ達して、たえず進行中の貿易風の重圧がぼくらの上に圧しかかるときなど。

ぼくはとある砂丘に登って、東に向って腰をおろす。もしぼくが誤っていないとしたら、<それ>は、もうすぐ来るはずだ。

やがてしばらくしたら、ぼくらは、この火の中、砂漠が吐き出す炎の中で、離陸するはずだった。

しかしいま、ぼくの心を動かすのはそんなことではない。いまぼくを原始的な悦びで満たしてくれているのは、天地間の秘密の言葉を、言葉半ばで自分が理解した点だ。未来がすべて、かすかな物音としてだけ予告される原始人のように、ある一つの足跡を自分が嗅ぎつけた点だ、この天地の怒りを一羽の蜉蝣の羽ばたきに読み取った点だ。

7章「砂漠のまん中で」で描かれる、彼自身の遭難の話は圧巻だった。

ああ、水!

水よ、そなたには、味も、色も、風味もない、そなたを定義することはできない、人はただ、そなたを知らずに、そなたを味わう。そなたは生命に必要なのではない、そなたが生命なのだ。

この本の訳文は、倒置法がふんだんに使われていたり、「かれ」「それ」などの指示語が指す対象が一意に決められなかったり、意味の区切りと関係しない読点が打たれていたり、多義的に解釈できる単語の割合が多かったりするため、内容の意味するところを読み取るのが非常に難しい。原文を読める訳ではないので確かなことは言えないのだけど、きっと元の文も詩的だから、別の言語に置き換えるのが難しいのだと思う。フランス語が読めたらなあ。

しかし、それにしたって「人間の土地」という訳題はどうなんだ。飛行機から眺める地球の姿や、砂漠で見るオアシスの幻を語るには「土地」という単語は卑近すぎて、むしろ住宅建築とか遺産相続のような話題を想像させる。原題は「Terre des hommes」なので、それならせめて「人間の地」とか「人間の大地」という訳の方が合っているのではないか...と読み進めながら考えていた。

ただ、最終章「人間」を読んでいるうち、だんだんと「土地」の訳もまた良いのかもしれないという気持ちに傾いてきた。 章のはじめに語られているのは、サン=テグジュペリが通信員として訪れたマドリード戦線で出会った、出撃間際の軍曹のエピソードだった。

ぼくはすでにきみの告白を聞いていた。きみはぼくに身の上話をしてくれた。バルセロナのどこやらの、貧しい出納係として、きみは以前、数字を並べていたのだった。きみの国が、二つに分かれて、争っていることなどは、たいして気にもせずに。ところが、第一の同僚が志願した、ついで第二、ついで第三。するときみは、自分が不思議に変ってきているのに驚いた。きみの仕事がしだいにくだらなく思われてきた。きみの喜びも、きみの悲しみも、きみの日常の安楽も、すべてが昔の時代のもののように感じられてきた。だがここまではまだたいして重要ではなかった。

最後に、きみの同僚の一人の死の知らせが来た。マラガの付近で、戦死したのだ。きみが、彼のために復讐を思い立つような種類の、これは友人ではなかった。政治のことはどうかというに、これは一度も、きみの心を乱したことはなかった。それなのに、この死の知らせが、きみの上を、きみの狭い運命の上を、海の突風のようにすぎた。その朝、一人の同僚が、じっときみを見つめながら言うのだった、

-- 行こうか?」

-- 行こうよ」

そして、きみらは、<行った>のだった。

この後サン=テグジュペリは、この軍曹が戦場に立つに至るまでの心理のダイナミズムを野鴨や羚羊の行いに関する例を挙げて説明しようとする。例え話が長過ぎるうえに、直接的な言及がないので断言はできないのだけれど、自分が読む限り、彼が暗に言いたかったのは「軍曹が出撃を決めたのは、人間のうちに組み込まれた本能の発現によるもの」ということのような気がした。はっきりと書かない気持ちはよく分かる。「戦争が人間の本能」というのは、絶望的な宣言だから。それを認め記すのは難しい。

8章2節は次の段落で終わっている。

きみの心に、この出発を促す種を蒔いたかもしれない政治家たちの大言壮語が、はたして真摯であったか否か、また正当であったか否か、ぼくは知ろうとも思わない。種が芽を出すように、それらの言葉がきみの中に根を張ったとしたら、それは、それらの言葉が、きみの必要と一致したからだ。それを判断するのはきみ一人だ。麦を見わける術を知っているのは、土地なのだから。

 それで自分は、Terre des hommes が、人間が支配する土地というだけでなく「人間の内なる土地」も意味するのだと理解した。

 

書きたいことはまだたくさんある。砂漠の絵もまた描きたい。

 

人間の土地 (新潮文庫)

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人間の大地 (光文社古典新訳文庫)

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