アトリエ・サルバドールの冒険

水彩絵描き・ますとみけいのBlogです。

井の頭公園アートマーケッツ(10/10)に出店します

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井の頭公園アートマーケッツが再開されました!とても嬉しいです。長くこの日を待っていました。10/10 (日) に出店します。絵のポストカード・おやつのポストカードを持っていきます。どうぞお散歩がてらお立ち寄りください。

10時から16時まで、おおよそこのあたりでお店を出しています。

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www.google.co.jp

夏に新しく作った「海辺」「東京駅丸の内駅舎」「さくらもち」と「おやつのポストカード」全種類を持っていきます。

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お天気も良いようで楽しみです。大風が吹いたり嵐が来たりしたら退避します。見当たらない時はTwitter、Facebookをご覧頂けたら助かります。

 

自信を持って生きる (亡くなったKさんの思い出) (11終)

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...

(10から続く)

 

食堂を出てKさんと話した。

研究所の桜がちょうど見ごろで、やや散り始めたところだった。

「ありがとう。絵は大切に飾ります。諸々のことはまたメールしてください」

「ありがとうございます。そうだ、展示を開催するとき、ぜひお知らせを送らせてください。メールを送っても構いませんか」

「紙のはがきも送ってください。研究所宛で大丈夫です」

「わかりました。必ず送ります」

「楽しみにしています」

握手した。

「どうか、健康でお過ごしください」

「ありがとう。お元気で。」

...

 

退職したあとも、時々Kさんと交流を持った。研究所の公開イベントにお伺いして、SさんとKさんの案内で実験設備を見せてもらったりした。Kさんも、はがきを持って私の展示に来てくださった。グループ展の芳名帳にひっそり名前だけ残してくださったこともあった。

2019年の冬、個展のお知らせに返信を頂いて、それが最後のお便りだった。

2020年1月、Yさんから「Kさんが亡くなった」と連絡があった。

 

...

私は、Kさんとの思い出を「物語」として書いた。

絵の依頼を受けた時、Kさんから「物語の中で生きつづける」ためのお手伝いを任されたように感じたからだ。この感覚は、送別会の日のKさんを見て「間違いなくそうだ」という確信に変わった。

本当にこれで良かったんだろうか。

私はKさんに「現実で生きる」ことを勧めるべきだったんじゃないのか。入院治療を促し、自助グループにつなげていたら良かったんじゃないのか。せめて私は、最後の送別会の日「もうこれ以上飲んではいけない」とKさんを止めるべきだったんじゃないのか。

過去の判断を思い悩む時、Kさんが言っていた「何が正しいなんてないんですよ」というひとことを思い出す。この言葉は、秩序を破壊する混沌の言葉だ。だけど、不思議と心が落ち着いてくる。「どんな選択をしたとしても、ただその結果があらわれるだけだ」と思えるようになってくる。

治療の開始をKさんに勧め、研究所に状況を知らせた時点で、私は「Kさんの死の責任を負わない」と決めた。自分の心を守り、自分の人生を続けるためだ。

 

...

Kさんという方が亡くなった。

飛行機の研究所で働いていた時の上司さんだった。お茶目でシャイで、とんでもない方だった。Kさんと一緒に仕事ができて、私は本当に楽しかった。

私はKさんとの交流を通して、大事なことを教えてもらった。

自信を持って生きる方法、それは「自分を"装う"のをやめる」こと。

自分の性質をまっすぐ見ること。怖がりなら「怖がりだ」と認めること。自分の性質を認めた上で「それでもいい」と自分を許してあげること。

「装わなければ恐ろしいことになる」という不安な気持ちと向き合うこと。自分の身体を傷つけないで、不安をなだめるすべを身につけること。他人の身体や心を使って、自分の不安をなだめようとするのをやめること。

私はKさんと同じように「物事の暗い側」を見るのが好きだった。だけど、KさんやYさん、研究所の方々と一緒に過ごして「明るい側を見たい」と思った。今も暗いものに心惹かれる。それでも「明るく生きていたい」と思う。

...

「文字として書ける」ということと「実践できる」ことの間には、いつだって大きなへだたりがある。頭でわかっていることが、実際できるようになるまで、とても長い時間がかかる。

やめ続けること。やり続けること。

まずは自分から始めること。

私はこれから、そういうことをやっていきたい。

 

 

自信を持って生きる (亡くなったKさんの思い出) (10)

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...

(9から続く)

 

Kさんからの依頼を受けたあと「かぼちゃ人類学入門」という本を買った。

"かぼちゃ島"で暮らす"かぼちゃ人"のつつましい暮らしを、鳥の視点から描いた絵本だった。小さい頃、この本がとても好きだった。絵の中に入って、自分もかぼちゃ人と一緒になって、かぼちゃ島で暮らす様子を想像して過ごした。

かぼちゃ人はボロボロの服を着て、土の匂いのする町に暮らす。好きな時間に食べて、好きな時間に飲んで、好きな時間に眠る。狭い路地に囲まれた町で、道ごしに窓と窓からおしゃべりをする。ぬるい温泉につかり、舞台でお芝居を見て楽しむ。

途中、島の歴史が描かれる。かぼちゃ人は、初めからこういう暮らしをしていたわけではなかった。かつては世界中からたくさんの船が来て、かぼちゃ島の"肉"を輸出していた。かぼちゃ人は大儲けした。島には高い建物が建ち、店には珍しい品々が並んだ。だけど、そういう暮らしを続けるうち、かぼちゃ島のおなかは掘り尽くされて、空っぽになってしまったのだった。

一度死にかけたかぼちゃ島は、島そのものの生命力と、かぼちゃ人の努力によって、長い時間をかけてよみがえった。それから、かぼちゃ人は島の恵みを大切に使う、つつましい暮らしを始めたのだった。

Kさんから依頼を受けた時、この本のことが頭に浮かんだ。

「いつの日かこういう絵本を描いてみたい」と思っていた本だった。

「かぼちゃ人類学入門」を参考に、Kさんの絵の下書きをはじめた。

...

描きながら、自分の数年間を振り返った。

絵の仕事を始めた頃、私が目指していたのは「人に見られて恥ずかしくない絵」だった。「仕事をもらえる絵」「依頼主からOKをもらえる絵」「Webサイトに乗せても恥ずかしくない絵」「この絵描きは"できる"と周囲に示せる絵」...研究からドロップアウトした私は、絵の世界に逃げ込んで、前やっていたのと同じように「よくわかってるフリ」「なんでもできるフリ」を続けようとした。そうして、他人も自分も騙そうとして、まず自分を騙しきれなくなって、神経性の病気になった。

飛行機の研究所に来て、Kさんと一緒に働くうち、私は少しずつ良くなった。自分と似て、恥ずかしがりで、凝り性で、落ち込みやすいKさんに「大丈夫です」「なんとかなります」「ものごと案外大体でいいんです」と言い続けるうち、自分の方が「大丈夫だ」「なんとかなる」「ものごと案外大体でいい」と思えるようになってきた。「なんでも、とりあえずやってみたらいい」という気持ちになってきた。私は、奇妙な形でKさんに"治して"もらった。元通りではないけれど、新しい状態にしてもらった。

「お礼の気持ちを込めて描こう」と思った。

 

絵は、なんとか仕上がった。

...

3月の勤務最終日、Kさんのところへ絵を持っていった。

「絵です。仕上がりました」

「ああ、良かった。この紙袋ですか」

「はい。額装したので、ちょっと大きめになりました。開けてみてください」

「いま開けるのはよしましょう」

「え?」

「今日の送別会のとき、食堂に行って開けましょう」

「え??」

Yさんが居室にやってきた。

「お久しぶり!」

「Yさん!お久しぶりです」

「どうだった?元気だった?」

「おかげさまで元気です。今日はちょっと寝不足ですが」

「そうなの?なんで?」

今日までKさんの依頼製作をしていて、夜中に仕上げをやったことを話した。

「なにそれ!すごい!じゃあ、この紙袋の中身が絵?よし、おひろめ会しよう!」

「おひろめ会!!?」

「だって、送別会だよ?盛大に送りたいよ。おひろめ会しよう!」

...

夕方、研究所の方々が食堂に集まってきた。

テーブルにはサンドイッチ、オードブルの皿、ビールや酎ハイの缶が並んだ。

人が集まったころ「あー!Kさん!なにやってるんですか!」とYさんが叫んだ。

Kさんが会場端のテーブルに座って、焼酎の瓶から中身を注いで飲んでいた。

「まだ乾杯前じゃないですか。それにお医者さんもだめって言ってるのに」

「いやもう、私はいいんです」

「え、ほどほどにしなきゃだめですよ?」

(ああ)

私はこの日、Kさんを止めようか迷った。だけど、結局止めなかった。

...

会場が盛り上がってきたころ、Yさんが「ちょっと注目!」と言った。

「きょうはね、絵のおひろめ会があるんですよ」

「絵?おひろめ会?」

「ではKさん、どういうことか説明してください」

「はい」

Kさんが話しだした。

「退職記念に、この人に絵を描いてもらったんです。私の個人的な依頼です」

「そういえば、本業イラストレーターの人が働いてるって言ってましたね」

「きょう退職ですか...研究発表の絵、代わりに描いてもらえばよかったな」

Yさんが紙袋から額の入った箱を取り出した。

「これはどういう絵なんですか」

「私の "理想の飛行機" です」

「"理想の飛行機"!?」

「そう、私は別に、速く飛ぶ飛行機がほしいわけではないんです」

Yさんが「じゃあ、おひろめします!」と言って、額の入った箱を開けた。

「ジャン!」

人がたくさん集まってきて、額の中の絵をのぞきこんだ。

「おお」

「絵本みたいだ」

「これ、飛行機の中?」

Yさんが「Kさん!いかがですか?」と言った。

Kさんは、絵から離れた場所で「よく見えない...」と言っていた。

「ここ、機内で酒盛りやってるぞ」

「おお、めっちゃ盛り上がってますね」

「頭にネクタイ巻く人って今もいるんかな」

「俺、一回もやったことないですよ。そもそもネクタイしない。する機会がない」

Kさんが絵に近づいてきて、絵の中をじっと見始めた。

「動物がいっぱいいるぞ」

「人間のキャラクターは、私がKさんから指示をもらって描いているんです。動物は私がイメージを足しました」

「あ、ここに描いてあるの、もしかして僕ですか?」

「そう、Sさんです。YさんとKさん、Sさんは中に描かせていただきました」

「カードゲームしてる人がいる。外国の人かな」

「ホシモがいる!」

「ホシモです。面白い形してますよね」

「飛行機、みんなで靴下脱いで乗れるのはいいよなあ。やっぱ窮屈だからさ」

「それはわかる、すごいわかる」

「おい、パイロットが寝てるぞ!」

「この機はAI制御でオートパイロットなんです」

「アテンダントさんが膝ついてお茶入れてる..」

「この機ならいいんじゃない?」

「旅客機っぽい主翼がありますね。てことは、垂直離着陸じゃないな。離陸の時どうなるんです?客室が傾いたら、みんな転がってっちゃうんじゃないですか?」

「まあ、そういうことはいいんですよ」とKさんが言った。

「いやあ研究者としてはやっぱ気になるでしょう」

「いや、もうこの際いいんです」

研究部の部長さんが言った。

「そうかあ、K君はこんなことを考えてたんだなあ」

「実は、そうなんですよ」

「普段、何考えてるか全然わかんないからさ。そうかあ、こんなこと考えてたんだなあって」

「ふふ」

Kさんは嬉しそうだった。

私は「Kさん」と声をかけた。

「絵、どうでしょうか」

Kさんは、絵を手に持ってじっと見つめた。

そして、言った。

「ああ、いい。これは、私の理想に限りなく近い。」

それから、絵を見つめたまま、はにかんだ顔をして「ありがとう」と言った。

嬉しかった。絵が描けて、本当に良かったと思った。

「こちらこそ、ありがとうございました。すごく楽しいお仕事でした。」

パーティの終わりに、みんなで絵を囲んで記念撮影をした。

 

...

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自信を持って生きる (亡くなったKさんの思い出) (9)

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...

(8から続く)

 

ある日、食堂から戻る途中、Kさんがぼそっと言った。

「何が正しいなんて、ないんですよ」

自分の中で、とてもはっとする言葉だった。

「ないんですね」

「そう。ないんです」

そうして、Kさんも私も黙ったまま居室に戻った。

...

2月の終わりになった。

あらためて、職場を離れる意思をKさんに伝えた。

「すみません。色々お世話になりました」

「君はいつもそう、はっきり言ってくれたらいいんですよ。そうしたら、こっちも心の準備ができるから」

「すみません..」

「引き継ぎの資料を作ってください。今まで作ったプログラムについては、資料を読めば誰でも使えるよう細かく整備してください」

「はい。できる限り手を入れます」

「お願いします。ところで、春からどうするんですか」

「まだ悩むことは色々あるんですが、個人的な製作をメインに活動していこうと思います。それから、水彩画の先生の教室に通います。水彩の基礎を学んできます」

「ああ。いいですね」

「ありがとうございます」

「そうだ。最後に私から、個人的に絵の仕事をお願いしたい」

びっくりした。

「絵ですか」

「そうです」

「どういった絵でしょう」

「明日、休憩のとき詳しく話します」

...

翌日、休憩スペースでKさんと向かい合った。

「私の頭の中にある "理想の飛行機" を描いてください」

「Kさんの、理想の飛行機ですか」

「そうです。詳しく話すのでよく聞いてください」

 

「正直、私が作りたい飛行機は、極音速でも超音速でもないんです。速く飛ばなくたっていい。私は、ゆっくり旅がしたいんです。フェリーみたいにゆっくり進む飛行機がほしい。機内に入ったら、靴を脱いで上がれるごろ寝のスペースがあって、そこに雑魚寝の乗客がたくさんいる。広々としたカーペットの上で、それぞれの人たちがめいめい思い思いの楽しい時間を過ごす。こういう飛行機のイメージが私の中にずっとあります。私は長い間、このイメージを絵にしたいと思っていた。だけど、私は思うように絵が描けない。私に代わって、このイメージを具現化してください。これから言うことのメモを取ってもらえますか」

「はい」

「そうしたら、まず、絵の中にはたくさんの人を描き込んでください。毛布にくるまってのんびり寝ている人、友達数名と車座になってカードゲームをやっている人、走り回っている子ども、一人で本を読んでいる人、カーペットの上にはお茶のシミができてたり、食べ終わったお弁当のカラが散らかってたりする。おみやげの紙袋もあるといいですね。外国の人も交えてください。あとは、せっかくだから、ちょっとキュートなCAさんもいてほしいかなあ。そうだ、日本酒の瓶を抱えて酒盛りをするサラリーマン。これは絶対に描いてほしい」

「わかりました」

「フェリーに乗ったことはありますか」

「あります。私も船の旅が好きなので」

「あの感じです。できる限り細かく描いてください」

「わかりました...この機は、ドローンみたいに垂直離陸するイメージですか。離着陸の時シートベルトがないと、機が傾いたらみんな転がってっちゃいそうですが」

「まあ、そのあたりはお任せします」

「わかりました。絵のタッチは何かご希望がありますか」

「水彩がいいですね」

Kさんは手元のノートパソコンを開いた。

私のBlogが表示されていた。

「どれか、わかりやすい絵がないかなあ」

「Kさん、Blog読んでたんですか」

「読んでますよ。"アトリエ・サルバドールの冒険"。ずっと聞きたかったんですが、なんでこんなタイトルにしたんですか」

「毎日が物語みたいになってほしくて...最初は、もっと紀行文を書きたかったんです。あと『シャーロック・ホームズの冒険』のオマージュで...言ってて恥ずかしくなってきました」

「あった。航空記念公園の絵。この絵が一番イメージに近い。こっちの飛行機の絵だとちょっと違うな。もう少し人を細かく描いてほしい。あとこっちの絵、これは雑すぎる」

「すいません...」

「でも私はあなたの絵が好きです。みんな、半分夢の中にいるような。」

(ああ)

Kさんの言葉は、とてもしっくりくるのだった。

「ありがとうございます。そういう絵が描きたかったんです」

「良かった。今回描いてもらう絵もぜひBlogに載せてください。この先、あなたが絵本を描く仕事をするとき、編集者さんに見てもらったらいいと思います」

「助かります。ぜひご紹介させてください」

打ち合わせはまとまった。

Kさんはニヤニヤしながら、ゆっくり言った。

「期待しています」

私は苦笑してしまった。

「ありがとうございます。ご期待に応えられるよう、精一杯頑張ります」

...

(10へつづく)

 

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自信を持って生きる (亡くなったKさんの思い出) (8)

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...

(7から続く)

 

新しい仕事は難航していた。

私とSさんは、Kさんがいない時に居室で状況を相談しあった。

「私たち、いっそ、できないことはできないって、Kさんに言った方がいいと思うんです」

「そんなこと簡単に言えませんよ。"できない"って言ったら、"能力がない"って思われちゃうんじゃないか、とか...そうしたら職を失っちゃうんじゃないか、とか... 僕は、向こうの家族を路頭に迷わせるわけにいかないんです」

Sさんは中京地域から単身赴任で東京に来ていた。

「そうですよね」

「だけど、今来ている仕事は量もとてつもないですし、内容も難しすぎます。実験設備の仕事も任されているから、これ以上難しい仕事が増えたら、もう手が回りません」

「Yさん、早く戻ってきてほしいですよね」

「そうです。来年Yさんが戻ってくるまで、何とか踏ん張りたいです」

...

組織外の研究者の方を交えたミーティングの後、Kさんと話した。

「この仕事は、私が担える仕事ではありません」

「そんなことはない、あなた方の仕事ですよ」

「私は、Kさんが何を探しているのかわかりません」

「ですからずっと、何らかの"兆し"だと言っているでしょう」

「何らかの"兆し"って何ですか」

「兆しですよ。何かが起こるのです。それは、はっきりとはわからない」

「起こる何かって、何ですか」

「わからないのです。でも起こる。何かが始まる"兆し"が確かにある」

「...」

「そうした"兆し"を捉えるすべを磨くのが、このプロジェクトの趣旨です」

それからKさんは「あなたならわかると思ったのに」というようなことを話した。

このやりとりで、私の "引き金" が降りてしまった。

「嫌になりました」

「...」

「あなたは、ご自身の目でデータを見ない。グラフを描かない。私達に何か探せと指示をする。でも、何を探しているのかはわからない。あなたご自身がわからないまま、私達に『とにかく何か探せ』と言う。それで『見つからない』と言って落胆し、私達の責任にする。やってられません」

Kさんは黙っていた。

「力学に詳しいのはKさんです。少なくとも私はにわかです。あなたが見当をつけることなく、なぜSさんや私が、まだ誰も見もしない、知りもしない、あるかどうかもわからない"何らかの現象"を探しているんですか」

「...」

「大規模データの取り扱いを、一度でもいいからあなたがやればいいんです。まず、グラフを描いてください。Yさんでも、Sさんでも、私でもなく『あなたが』描けばいいんです。そうしたら、私達が今どれだけ茫漠としたところに放り込まれているか、すぐわかるはずです」

Kさんは黙ったままだった。

私は心の中で決めていたことを伝えた。

「来期、私はいないものとして進めてください」

「ああ、そうですか」

「今日は失礼します」

...

帰りのバスの中で、今日起きたことを反芻した。

私は「自分の代わりに、自分の大事なことをさせようとする人間」のもとで働くことができない。怒りを溜め込んで引きこもったり、感情的になったりして、これまでも頻繁にトラブルを起こしてきた。

自分はやらないのに、人に多大な期待をかけて、できないとけなしてくる行為が大嫌いだ。そういう人間の心理が痛いほどわかるから余計嫌なのだ。自分の嫌なところを見せつけられている気持ちになるのだった。

自分がやらずに人にやらせていれば「自分ではやらないけど、やればできるつもり」でいられる。自分でやるのが嫌なこと、やる自信がないことと向き合わずに、ただ結果だけを受け取れる。「やってみたけどできない」恐怖から、うまく目を背けていられる。

そうすることで、心の中の「理想通りの完璧な自分」が壊れないように守っているのだ。そんな「完璧な自分」への期待をそのまま人に渡しているから、要求のレベルは異常に高い。「できて当然」と思っているから、できたことを褒めたりしない。感謝もしない。むしろ「私よりできるなんて」と苦々しく思う。そして、期待通りの働きがなければ、大いにけなしてくる。

おそらく、かつて自分がされて嫌だったことを、そのまま人にやっているのだ。「高い期待に応えられない」状況を、破滅的なできごととしてとらえているのだ。「やってみたけどできない」事態を、なんとしてでも避けたいのだ。

嫌な考えばかり頭に浮かんだ。

Sさんのことを考えた。Sさんはじっと堪えている。私みたいにいきなり職場でキレたりしない。自分と家族の生活のため、粘って仕事を続けている。

...

翌日、Kさんはずっと黙っていた。

Sさんがいなかったので、居室はとても静かだった。

午後3時、お茶の時間になった。

ブルボンのアルフォートを持っていった。

「おやつを持ってきました」

「これ、花輪和一が『刑務所の中』で食べてたやつですか」

「読んだことないんです」

「今度貸しますよ、って、あ、ああ、この前、あの本は捨てちゃったんだ」

「...」

「先日、自宅の断捨離をしたんです。色々処分した。ああ...あの本...なんで捨てちゃったんだろう。捨てなければ良かったのになあ...」

「本ならまた買えますよ。Amazonで買ったらいかがですか」

「まあ、そうですね」

「どんな内容ですか」

「刑務所生活のルポ漫画です。描写がとにかく細かい。特に、食事シーンがいい。休憩時間、配給のアルフォートの数を数えて大事に食べてましたよ」

...

お茶を飲みながら、Kさんが言った。

「あなたみたいにプログラムができるのはいいですね」

「学生時代、スキルは裏切らないと思って必死に身につけました」

「どうやって勉強したんですか」

「低レベルの参考書を複数買って演習しました。わかる範囲が増えたら、前よりレベルの高いものをまた複数買って...それを繰り返しました。でも、一番伸びたのは海外研修の頃です」

「海外行ったって言ってましたね」

「ロンドンに行ってきました。英語が話せなくて、全然研究ディスカッションできなかったんです。喋れないし聴けないから、とにかく大変でした」

「ああ」

「それで、せめて実験用のプログラミングはしっかりやって "会話できてないけど内容はわかってます" アピールをしたかった。あの時の実践でかなり伸びました。研究は、最終的にとてもこじれました」

「私もドイツ行ってたことがあるんですよ。楽しかったな」

「ドイツ語、覚えるの大変でしたか」

「まあなんとかなりました。案外、なんとかなるもんですね」

「Kさん、プログラミングも、やってみたらいいと思うんです」

「...うーん」

「やってみたら、案外できたりします。私も最初めちゃめちゃでしたが、いろいろやってるうちになんとかなりました。それを生かして、今もお仕事させていただいてます」

「私、構えちゃうんですよ」

「...めちゃめちゃわかります」

「...」

「だけど、案外やってるうちになんとかなるんです」

「そうですかねえ」

「ここ数年『やってるうちになんとかなる』って実感する機会が増えました。こちらの研究所でのお仕事をいただいた時も、本当怖かったんですが、勢いで働きはじめて、今はとても良かったと思っています。絵もそうです。途中だいぶきつかったですが、手が進むようになりました」

「良かったですね」

「思うんですが、やらないでいると怖いことも、やると怖くなくなるんです。失敗して痛い目にあったりもするんですけど、怖いのは格段に減って、次以降、動きやすくなるんです」

「ああ」

「プログラミング、いかがですか。奥深いですよ」

「いいですね」

「ぜひ」

「そのうちやるかもしれません」

冬になった。

 

...

(9へ続く)

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自信を持って生きる (亡くなったKさんの思い出) (7)

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...

(6から続く)

 

飛行機の絵をKさんに渡した後、私はKさんに「絵を描きませんか」と勧めないようになった。そのかわり、個人的な製作をいくつか進めた。

2017年4月に入って、新しい仕事が始まった。Sさん、私、Kさん、研究所内外の方々と連携して、シミュレーションの結果をグラフに落としこむ作業をした。仕事中、Kさんの態度は厳しかった。時に理不尽と感じるような言動もあった。お昼の休憩やお茶をする時の柔らかい表情と比べて、仕事中のKさんは人が違うような感じがした。Kさんの中には、そういう「すみ分け」があるのかもしれなかった。

...

午後3時、休憩スペースでお茶をしていた時、Kさんが絵の話をした。

「絵の学校は、今も行ってるんですか」

「セツ・モードセミナーは、先日閉校したんです」

「閉校?学校がなくなったってことですか」

「はい。開校100周年で、閉じることにしたみたいです」

...

別の日、Kさんがまた絵の話をした。

「今までに禅画を見たことはありますか」

「禅画、この間見に行ってきましたよ。上野で展示があった時に。Kさんのおすすめで」

「...あれ?」

「話しませんでしたっけ、白隠禅師の達磨がすごいギョロ目で...」

「そうだったかな」

Kさんはしばらく黙っていた。

それからまた話しだした。

「あれだけ描けるならいいですよね」

私は「もう一回くらい、絵を勧めてみようかな」と思った。

...

別の日、休憩スペースに月光荘の8B鉛筆を持っていった。

「この鉛筆、面白いんですよ。この間展示をしてきた、月光荘画材店の鉛筆です。最近よく使ってるんですが、不思議な線が描けます。8Bです」

「8B、またずいぶん濃いですね。聞いたことないです」

「ちょっと触ってみませんか」

「うーん」

「こんな感じで描けるんです」

手元のスケッチブックに線を引いた。

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「確かに、面白い線が出ますね」

「鉛筆とコンテのあいのこみたいな感じです。色々な線が引けます」

「しかし、よくそういう単純な線で『ひこうきらしきもの』が描けますね」

「これ、私も結構不思議で、脳の不思議だと思います。意外と『ひこうきだ』って分かるんですよね」

「なぜでしょうね」

「概念は脳の中で、こういう線画に近い情報として保存されているのかなと」

「ふーん。ところで、船は描けますか」

「船、船ですか」

「帆船とか。私、飛行機より船が好きなんですよ」

「ちょっと待ってください。海賊船みたいな船ですか」

「そう。帆があって、3本くらい棒が立ってて、それからこの船首あたり、女神の像がついてるんです。あ、それだと違う」

Kさんは鉛筆を取って、急にさらさらと絵を描きだした。

しばらくして「案外、描けないな」と言って鉛筆を手離した。

「もっと描けると思ってたんだけど」

「すごくわかります」

「サラサラ、とはいかないんだなあ」

「やっぱり、頭の中に入ってないもの、良くわかってないものは描けないんです。今はネットがあるので、画像検索で写真が集まって便利です。昔のイラストレーターさん達は資料集めるだけで相当大変だったそうで」

「しかし、こんなに描けないとはなあ。そもそも手が動かない」

「私、まず丸とか線とか、そういう単純なものをたくさん描く練習しました」

「単純図形の練習ですか」

「はい。学校入りたての頃、まともな線が引けなさすぎて、行きの電車の中でスケッチブックに直線、丸、三角とかS字の線とか、とりあえずそういうものをたくさん描いて過ごしました」

「丸...」

Kさんは、鉛筆を取って丸を描きだした。それから、丸を閉じるとき、手を震わせた。

「ああ、違う」

「え?」

「こうじゃない」

Kさんは、丸の隣に渦巻きを描きだした。

それから、ぽつりと言った。

「メイルシュトローム」

それから、また別の渦巻きを描きだした。

「メイルシュトロームだ」

「何ですか」

「メイルシュトローム」

そしてまた渦巻きを描いた。

「メイルシュトローム」

「何なんですか、それ」

「ということは、君はエドガー・アラン・ポーを読んだことがない」

「ないです。名前しか知りません」

「読むといいですよ。ポーの短編に『メイルシュトロームの恐怖』という話があります。私は子供の頃読んで、とてもイマジネーションを掻き立てられた」

「どういう話なんですか」

「船が大渦に飲み込まれる話です。渦の名前がメイルシュトローム」

「船はどうなったんですか」

「どういう話だったかな。兄弟の乗る船が大渦に飲まれた。兄は戻って来られなかった。弟は脱出して語り部になった」

それからまた「メイルシュトローム」と言って渦巻きを描いた。

スケッチブックは渦巻きだらけになった。

私は、閉じない渦巻きを見ながら、上野の展示で見た禅画の円相図を思い出した。

円は「完全なるものの象徴」だという。じゃあ「渦巻き」は何の象徴だろう。

帰りのバスの中で、延々と考えていた。

Kさんと話していると、絵心を掻き立てられる感じがする。それと同時に、自分の描く絵が、暗い方、光から遠い方へ引きずられていく感じがする。自分の内側にある不安や恐怖が、増幅されて形を持って沸き出すよう、うながされている感覚だった。

 

...

(8へ続く)

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自信を持って生きる (亡くなったKさんの思い出) (6)

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...

(5から続く)

 

Kさんの年賀状と紙束を見てから、私は考え込んでしまった。

同じ夏、1枚の絵の製作に膨大な時間をかけて以降「次の絵」を描く気力を失っていた。暑い夏の日にスケッチに行って、数百枚の写真と数十本の動画を撮り、自宅に戻って整理して、絵の中に描く工業製品の構造を詳しく調べた。絵は、なんとか仕上がった。

1枚描くたびこんなに疲れてたら、先が続かない。"絵を描き続けられる"のが絵描きだ。こんなにすぐ気力をなくしているようでは、私は"絵描き"にはなれない。

そういうことをぐずぐずと考えていた。

この間、私は絵を描かなかった。

...

職場では、相変わらずKさんに絵を描くことを勧めていた。

「Kさん、らくがきをはじめてみませんか」

Kさんは言った。

「毎回言いますが、そういうのは『あなたが』すればいいんですよ」

「やってみたら楽しいかなと思って」

「やりません」

「ちょっとやってみるくらい、いいじゃないですか」

「そういうのはいいんですよ」

Kさんの顔色は、度々赤黒くなっていた。

...

2017年3月、年度末になった。Yさんの異動はもう1年続くことになった。

Kさんから話があった。

「4月からの仕事ですが」

「どういったお仕事でしょうか」

「大規模データから『特殊なできごとの兆し』を見つけ出してください。一体どんなできごとなのか、どのような形で埋もれているか、本当のところはわからない。その定義からが仕事です」

「...難しそうに聞こえますが」

「得意だと思いますよ。手伝ってもらえませんか」

ここまで2年続けてきた、Yさんのデータの解析は終了になった。次の1年、Kさんからの指示を受けて仕事をする。残業も増える見込みになった。

...

帰りのバスの中で「絵が描きたい」という気持ちになった。

研究所のWebサイトから、研究所の飛行機の写真資料を取ってきた。

いくつかの資料を組み合わせながら下絵を描いた。

「本当に飛んでるみたいに、本当に飛んでるみたいに」と念じながら描いた。

なぜか、するする描けた。

いつも通り、気に入らないところはたくさんある。だけど「紙の向こうに飛行機がある」感じに近づいた。

ほっとした。やればできる。飛行機なんて描いたことなかったけど、やってみたら案外描ける。私はいつもこの「ちょっとだけやってみる」がとても難しい。ごちゃごちゃ考えて、何もしないでビビってやめる。ほんの少しだけ、まずはやってみれば終わることが、なぜかできない。考えすぎる。

絵を額に入れて、研究所へ持って行った。

...

年度末の最終出勤日、絵の入った箱をKさんに渡した。

「これは何ですか」

「開けてみてください」

Kさんは箱を開けて、絵をじっと見た。

「例の飛行機ですね」

「水彩で描きました」

「...」

「差し上げます」

Kさんはしばらく絵を見ていた。

それから、絵を休憩スペースに持って行った。

「どこがいいですかね」

カレンダー用のフックにひっかけた。

「ここにしましょう」

飛行機の絵は、居室の休憩スペースに飾られることになった。

...

 

(7へ続く)

...

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自信を持って生きる (亡くなったKさんの思い出) (5)

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...

(4から続く)

 

Kさんがあまりにかたくななので、私はむしろ面白くなってしまって、食堂に行くたび、しつこくKさんに「絵を描きませんか」と言い続けた。

「Kさん」

「本当にしつこい人ですね...絵の話でしょう」

「おっしゃる通りです。描きませんか」

「描きませんよ。あなたが描けばいいじゃないですか。最近描いてますか」

「水彩がいいと思うんです」

「水彩だろうがなんだろうが描きません。あんな難しい画材は使いません。やり直しがきかないでしょう」

「それがいいとこだったりするんです。あと、ちょっといい紙使うと、案外色々できたりします。これが結構面白くて...」

「描きませんよ。あなたが描けばいいでしょう。描けるんだから」

「描けてるうちになんか入らないです。本とネットで聞きかじって、適当やってるだけなんです。それでもなぜか、なんとなく絵が仕上がるところも水彩の不思議でして...」

「何を言っても描きません」

「以前は何を使って描かれてたんですか」

「油ですが」

「水彩いいですよ!セットアップが気軽なんです」

「どこが気軽なんですか!あんな難しい画材。居室に戻りましょう」

「はあ...」

...

しつこく言い続けたある日、居室でKさんが言った。

「わかりました。あなたに見せてあげましょう」

「何をですか」

「私が描いた絵です」

「え?」

Kさんはデスクの引き出しから、口を糸巻きで止めるタイプの大きな書類封筒を取り出した。封筒は紙で膨れていた。

「まさか、これ全部絵ですか」

「いえ」

Kさんは封筒から紙束を取り出して、中から一枚のはがきを見せてくれた。

ファンシーなキャラクター達が、笑顔で手をつないで輪を作っていた。

「何ですかこれ」

「年賀状です」

「...すごいかわいいです」

「...」

「Kさんが描いたんですか」

「『ファンシー動物イラスト講座』みたいな本を見ながら描きました」

「このぺったりした着色、どうやってやったんですか」

「プリントゴッコです。使ったことありますか。簡単に多色刷りができるんです。今は、もうないのかな」

「これ、線と色の位置、少しずつずらして押してますか」

「そう。ハイライトを作るんです。こういうのいいですよね」

「よくこの方法をご存知でしたね... 封筒に入ってる他の紙は何なんですか」

「ああ、これは」

紙束を受け取って、中身を見た。

残りの分厚い紙束は、すべてこの年賀状のための版下、下描き、初期検討のためのメモだった。キャラクター1匹1匹の位置、線の細さ、色の塗り分け、色ずれの位置が、A4コピー用紙何十枚分にも渡って細かく調整されていた。

「これ、全部、この1枚のはがきのためですか」

「そうです」

「この制作、どれだけかかったんですか」

「忘れました。結構かかった。こうして見ると、ライオンさんはうまく描けたかなあ。難しいですよ。どれだけいじっても、何かバランスがおかしい気がして。プロフェッショナルの作るものには、どこまでいっても及ばないですね。いじってるうちに嫌になってしまう」

「...」

「あなたの目から見て、どこがおかしいと思いますか」

私は、Kさんの気持ちが痛いほどわかった。

この人は、技術や経験がまだ少ない段階でも、使われている仕組みを理解して「ある程度のもの」「よく似たもの」を真似して作れてしまうのだ。だけど、どんなものでも「頭で理解したこと」では真似のできない領域がある。必ずある。やってる本人も、そのことはよくわかっている。だけど「追い込めばいけるんじゃないか」と思ってしまう。そして目の前の作品に固執してしまって「大事なことがなされない」まま、作品の細かいところをいじりすぎてしまう。そうして、作ったものに満足できず、疲弊してしまう。これを繰り返しているうち、だんだん、作ることが嫌になってしまう。

私は悲しくなってKさんに言った。

「もう、十分かわいいです。これはこれでいいと思うんです。年賀状としての役割も果たしました」

「そうかなあ」

「Kさんご自身、どこを直したいとかわからないでしょう」

「考え始めると色々ありますが」

「いや、やめましょう。むしろ、また描いてみたらいいと思うんです」

「私は、一つのものを作るのにものすごく時間がかかるんです」

私はこの時、自分が何をすればいいのかわかった。

「らくがきです」

「何です、急に」

「絵を描くにしろ、何か作るにしろ "一球入魂"みたいにやり続けるから辛いんです。適当にはじめて、まず描くことを楽しむんです。らくがきから始めましょう。気楽な気持ちで楽しみながら、とりあえず何か描くんです」

「...気づきがあったようで何よりですが」

「やりましょう!」

「私はやりません」

...

私は企画の建屋に行って、YさんにもKさんの年賀状を見てもらった。

「何これ..すごいかわいい」

「かわいいですよね。びっくりしました」

「Kさん、絵描くんだね。しかもこんなかわいい絵。また描いたらいいのに」

「そうですよね。私もKさんの絵をまた見てみたいです」

 

 

(6へ続く)

...

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自信を持って生きる (亡くなったKさんの思い出) (4)

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...

(3から続く)

 

私とSさんはKさんの携帯に連絡しつづけた。

午後の3時を過ぎても、Kさんからの応答はなかった。

Sさんが言った。

「家で倒れてたりするんじゃないですか」

「これはもう、私たちではまずいですね。研究所の人に話すしかない」

「研究所に話して大丈夫なんでしょうか。事情がわかったら、Kさん、職を失うかもしれない。僕、責任持てないです」

Sさんは以前、Kさんのデスクのそばで "酒瓶のようなもの" を見たらしかった。

「私だって責任持てないですよ...だけど、Kさん家で倒れてたら、もう本当にまずいです」

...

研究所の管理室に行って状況を説明した。

研究所の方はすぐ対応してくださった。

「わかりました。こちらから彼に連絡します」

「よろしくお願いします」

「私達が彼を病院へ連れて行きます。産業医とも話をします。K君は一人暮らしで、ご実家は東京からかなり遠い。研究所がサポートするしかない」

...

居室に戻って、気が抜けた。

Sさんの言うように、私はKさんの人生に関して、何か重要な引き金を引いてしまったらしかった。私が言わなくても、いずれ誰かがKさんに言ったかもしれない。でも、私が言ってしまった。研究所にもアクションを促してしまった。

私は以前、個人的な興味から依存症について調べていた。依存症の経過の厳しさについて、いくつかの書籍で読んで知っていた。この病は、自力で回復することが本当に難しい。誰も何も助けなければ、Kさんはこのまま沈んでいってしまう。

だけどこれは、私がやって大丈夫だったんだろうか。

私は頭の中で、Kさんと自分の関係性を整理した。私は、たまたま派遣されてきた外部の技術支援員だ。Kさんは私の上司で、私はKさんの部下だ。私は、Kさんと話しているととても楽しい。私とKさんは仲が良いかもしれない。なぜならお互い「人とうまく話せない」「人とうまく仲良くできない」タイプの人間だからだ。依存症の根底には、他人と関わることに難を抱えた人間特有の病理がある。私はそれを肌で感じる。私も同じ素質を持っているからだ。現状だって病みあがりに近い。それから、病んだ人間が病んだ人間と関わるときには、とても色々なことが起こりうる。

だから、関わってしまった以上、私も覚悟を決めなくてはいけない。

私は「今後Kさんが亡くなったとき、その死の責任を自分が負わない」と心に決めた。冷たく聞こえるかもしれないけれど、そうする必要があると感じた。

気持ちを整えて、もう一度Kさんの携帯にメールを送った。連絡がないためとても心配していること、研究所の方に状況をお伝えしたこと、今後研究所からサポートがあること、Sさんも心配していること、また食堂で漫画や音楽の話をしたいことなどを書いた。

...

数日後、Kさんが居室にやってきた。

髪を短く切り、おろしたてのYシャツを着ていた。

「Kさん!お久しぶりです」

「お久しぶりです」

Kさんは坦々としていた。

「大丈夫ですか」

「大丈夫ですよ。研究所とも話をしました」

「とにかく、良かったです。病院へは行かれたんですか」

「行ってきました。これからしばらく通院します」

「通院...入院ではないんですね」

「通院でいいそうです。リーフレットとかを大量にもらった」

「どちらの病院ですか」

「三鷹です。吾妻ひでおが入院してたのと同じとこかもしれない」

「... 良かった ? ですね...」

...

お昼休みに食堂へ行く途中、Kさんが話してくれた。

「ここ3日かけて、酒を抜いていました。きつかった。途中で幻覚を見ました。天井にうごめく大量の何か...寝ずの修行と同じくらい厳しかった。だけど、さっぱりした。生まれ変わった気分です」

「良かったです。ずっと続けていけたらいいですよね」

「そうですね」

私は、前から考えていたことをKさんに提案してみた。

「Kさんはこれから何か、お酒以外の楽しいことを見つけられたらいいんじゃないでしょうか」

「楽しいことですか。修行をやってるので他はいいですが」

「Kさんの修行、お話を伺う限り "苦行" に聞こえるんです。もっと "楽" の方向性で何か探したらいいと思うんです。楽しいことをして生きた方が毎日楽しいと思うんです。せっかく生まれ変わられたんですし。新しい趣味を始められてはいかがですか。例えば、絵とか」

「絵は描きません。」

即答だった。

「...前、絵がお好きで『絵描きになりたかった』と伺ったので...」

「私、絵は描かないんですよ」

「いや、そんな、本格的でなくていいんです。趣味の絵を描くのは楽しいです。特に水彩はいいですよ。一回やってみませんか。紙の上に水を引いて、そこに絵の具をぶわーって垂らすだけで、すごい和みます」

「やりません。」

「いや、ちょっとだけでも...」

「やりませんよ」

「......」

 

 

 

(5へ続く)

...

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自信を持って生きる (亡くなったKさんの思い出) (3)

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...

(2から続く)

 

私は、前からずっと気になっていたことをKさんに聞いてみた。

「Kさんは何か修行をされているんですか」

「そう、修行してる」

「どういう修行なんですか」

「坐禅を組み、大声を出して鈴を振る」

「...」

「思うほど怪しいものではないですよ。特に、坐禅はいい」

「何のための修行なんですか」

「無心になるため。」

「無心。」

「坐禅を組み続けると、本当の無心がやってきます。私は以前、何日間にもわたってぶっ続けで組んだことがあります。不眠不休、手も足も痺れ、頭もチカチカして、ああ、もうだめだ、と思うんだけど、それでもただただ組み続ける。するとある時、目の前にパッと "新しい状態" がやってくる。物事がみな透き通って、何もかもがとてもクリアに見えてくる...これは、やったことのある人でなければわからないだろうね」

「......」

「興味があるなら案内しますよ。あなた、脳の研究をやっていたなら、一度くらい  "そういう状態" を見たいと思ったことがあるでしょう」

「いえ、結構です」

「なんだ、もったいない。私から紹介しますよ」

「絶対に結構です..」

私は、目の前のKさんがやつれて、あまり健康そうに見えなかったので、おそらくこの修行は身体を痛めるものなのだと想像した。Kさんは会話の途中、よく咳払いをした。鈴を振る修行で声を出し続けるため、喉を壊しているらしかった。

...

2016年の秋、Yさんが一度研究を離れ、企画のための部署へ異動することになった。Yさんは「色々ごめんなさい!何かあったらいつでも連絡してください。すぐそちらへ向かいます」と言って、企画の建屋へ移っていかれた。

私のほとんどの仕事は、Yさんのデータ解析のサポートだった。「この先どうなるんだろう」と思った。研究所と派遣会社のやりとりがあった後、私の派遣契約はそのまま継続となり、私の作業監督はKさんが引き継ぐことになった。

Yさんが去って、居室は急に静かになった。

居室にはKさんと、委託職員のSさん、私の3人が残った。

Sさんは外部の会社の方で、実験設備の開発サポートをしていた。私とSさんは、Kさんが居室にいないとき、2人でよく「どうしましょう...」と相談しあった。

仕事上、Kさんとのやりとりをする機会が増えた。Kさんとのやりとりでは、悩まされることが多かった。Kさんは、ミーティングの時間を忘れてしまうことがよくあった。お願いした作業がいつの間にか"なかったこと"になってしまうこともよくあった。ご本人は、変更や確認の内容を本当に覚えていない様子で、私はとても混乱した。何かの機会にKさんにそのことについて尋ねると、Kさんは黙り込んでしまい、しばらく話をしてもらえなかった。

...

ある日、Sさんと揃って研究所の方に相談した。

「それは、困りましたね」

「大丈夫なんでしょうか」

「K君は本来、昔から真面目で、何でもきっちりやるんです。私はK君が入所した時から見ていますが、そこはずっと変わらないです。遅刻と欠勤は多かったけど、このところはちゃんと来てるようですし、少し様子を見てもらえませんか。何か気づいたら、また連絡してください」

「わかりました」

...

Kさんは、居室にいる多くの時間、うつむいて体調が悪そうだった。

3時に居室でお茶をする時、Kさんに話しかけた。

「ご飯を食べていますか」

「あまり食べる気がしない」

「...」

「あなたの心配はいりません」

「病院に行かれた方がいいのではないですか」

「私は、修行があるからいいのです」

Kさんからは、いつも酢のような香りがした。

...

Kさんの状態は、日増しに悪化しているように見えた。毎朝、苦い顔をして出勤してくる。朝から居室にはいるけれど、机に座っているのが辛そうだった。顔は赤黒く、いつも汗をかいていた。昼、食堂に行っても、ものが食べられず、家から持ってきた野菜ジュースだけを飲んでいた。

私は、言わないわけにいかなかった。食堂でSさんとテーブルを囲んで、Kさんに切り出した。

「専門機関に相談して、お酒をやめられた方がいいと思います」

Kさんは、ギョッとした表情をした。私はその表情を見て、この人、今までずっと隠しおおせてると思ってたのか、と思った。

「一日にどのくらい飲まれてますか」

「私は、私の意思で飲んでいるんだから、何の問題もありませんよ」

「専門機関に相談してください。危険です。Kさんご自身が一番お分かりだと思います。」

Kさんは返事をしなかった。

翌日、Kさんは居室に来なかった。

 

(4へ続く)

...

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自信を持って生きる (亡くなったKさんの思い出) (2)

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(1へ)

...

(1から続く)

 

Kさんは無口で、謎の多い人だった。13時頃の遅い時間から研究所にやってきた。乱れた衣服を着て、顔を真っ赤にしていた。

Yさんから「Kさん、道場で修行をしてるんですよ」と教えてもらった。

「何の道場ですか」

「坐禅を組んだり、滝に打たれたりするって」

「お坊さんですか..」

...

研究所で働くようになって、私の生活は安定した。起床時間が規則正しくなり、月に決まったお給料をもらえるようになった。合間合間に絵の仕事もできた。

置き去りにしてきた論文にも進捗があった。指導教員の先生とロンドン研修時の先生が、これ以上私がややこしいことになる前に、研究結果を早く学術誌に掲載して、私が博士課程の修了要件を満たせるよう尽力してくださったらしかった。私はロンドンの先生に言われるままにデータを送り、問われるままに質問に答え、心を無にして論文を修正した。徐々に動悸はおさまり、薬を飲まなくてもよくなった。絵の学校でも安定して絵が描けるようになった。個人的な製作も進んだ。

 

2015年の秋、居室の方々に展示の案内はがきをお渡しした。

「よかったら、どうぞいらしてください。絵の展示をします」

Kさんははがきの絵をじっと見ていた。それから宛名面の自己紹介を見て「この、アトリエ・サルバドールとはなんですか」と聞いてきた。

「事務所の名前です。法人と契約するとき組織名があると便利なんです」

「Webサイトもあるんですね」

「あります。SNSもあります。絵を載せてますのでぜひご覧ください」

...

それからしばらくして、食堂に向かう途中、Kさんに話しかけられた。

「あなたは、前衛的作品に興味はありますか」

びっくりした。

(前衛的作品?)

少し考えてから「前衛かどうかわかりませんが、つげ義春の『無能の人」は結構好きです」と答えた。

Kさんは「それ」と叫んで 「ゲッツ」みたいな手つきをした。

(!??)

Yさんが「え、何? 何の話?」と聞いてきた。

「知らないよねえ。漫画です。暗い。すごい暗い。それが、いいんですよ。主人公は甲斐性なしで、多摩川で石を拾ってきて売るんです」

「石?なんで?それ売れるんですか?」

「いや全然売れない」

「どういうことですか???」

Kさんは嬉しそうだった。

食堂からの帰り道も漫画の話が続いた。

「萩尾望都読むんですね。じゃあ『残酷な神が支配する』を知ってるでしょう」

「ヒッ...」

「知ってるね。名作だよねえ。あのシーン最高だったなあ。『卵を産め』って」

「 (ランチの帰りにする話じゃない...) 」

Yさんに「今度はどんな漫画?」と聞かれて、ものすごく答えに困った。

...

それから、食堂でKさんと話をするようになった。Kさんは直感が鋭く、私の言いたいことがすぐにわかるようだった。私はひどい話し下手なので、話していて助かる瞬間が多かった。専門的な話もした。Kさんは航空機に最新技術を導入する研究をしていた。私の元の専門が神経科学だったと話すと、興味深く聞いてくださった。

 ...

2016年3月、異動する研究員さんの送別会があった。お昼休憩の時間、研究所近くのイタリアンレストランに集まって、お送りする方を囲みながらKさんやYさんと話をした。

Kさんは昼間からワインを飲んでいた。

「あなた、どうして絵描きになろうと思ったんですか。前は研究者志望だったわけでしょう」

答えるのがとても恥ずかしかった。

「研究がうまくいかなくなったとき、急に、絵描きになったら全部うまくいく気がしたんです。勘違いでしたが...」

「趣味で描くのとは違うんですか」

「『絵描き』になりたかったんです。絵が描けるようになりたい、絵を描いて生きていきたいって」

「楽しいですか」

「お仕事の絵と、個人的な製作でちょっと違います。だけど、やっぱり楽しいです。思ったことを紙の上に表せるのは、すごく楽しいです。全然描けない、うまくいかないことばっかりですが。絵の学校入ったり、自習したりしてます」

「石膏デッサンやってますか」

「やってないです。絵画教室の体験でほんのちょっとやったくらいで」

Kさんは「ふーん」と言って聞いていた。

「私もね、絵描きになりたかったんですよ」

私はなんとなく、そうなんじゃないかと思っていた。

「そうなんですか」

「うん。高校の時美術部だった。楽しかったなあ。できたら絵の学校に入って、絵描きになりたかった。だけど、いろいろあってあきらめた。それからはもう、ちくしょう、見てろよって。めちゃくちゃ勉強した。絵が駄目ならいっそのこと、自分とこで一番いい大学に入って、そこの一番いい学科に入ってやるって。それで航空に入った。それからこの研究所に来た」

「飛行機はお好きだったんですか」

「うーん」

Kさんのグラスがどんどん空になるのが気になった。

 

 

(3へ続く)

...

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自信を持って生きる (亡くなったKさんの思い出) (1)

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2020年の1月、Kさんという方が亡くなった。飛行機の研究所で働いていたときの上司さんだった。

ずっと、この人との思い出を書きたいと思っていた。

私は、Kさんとの3年間の関わりを通じて「自信を持って生きる」とはどういうことかを教えてもらった。教わったからといって、自信たっぷりに生きられるわけではないことも教えてもらった。自信を持つ方法、それは「ありのままで生きる」ということ。もっと言うなら「自分を"装う"のをやめる」ということ。

Kさんはお茶目で、シャイで、とんでもない方だった。交流しているあいだに被った害がたくさんある。だけど、教えていただいたこと、与えていただいたものの方がもっとずっとたくさんある。

少しずつ書いていきたい。

 

...

研究所で働き始める1年前の2014年、私は大学院を退学して「絵の仕事」を始めた。研究者をクライアントとして、研究発表用のイラストを描いたり、異動・転勤する方への贈り物の絵を描いたり、イベント用のパンフレットを作成したりした。税務署に個人事業主の開業届を提出して、事業所の名前を「アトリエ・サルバドール」にした。当時読んでいた学術論文の謝辞欄に「We thank Salvador...」という書き出しの一文があって、なんとなく「それでいこう」と思った。当時の私は"直感"を信奉していて、何かにつけて適当な直感を元に判断を下していた。そして、直感に従い「私はもう研究をしない。何かを作って生きていく。その方が絶対うまくいく」と信じ込んでいた。

だけど、開業半年にして「何かを作る」のがもう嫌になってしまった。

まず、ものがうまく描けない。ものの形がうまく取れない。似顔絵も、チラシデザインもうまく仕上がらない。どうも何かがしっくりこない。ギリギリまで細かいところを調整しても、いつまでたっても何かがおかしく、バランスを欠いて不完全に見える。クライアントさんの反応からも「うん、まあ、これで大丈夫です。どうもありがとう」という、あまりはかばかしくない印象が伝わってくる。

自分に基礎の技術がないことが、ようやく身に染みてきた。私は、アカデミックなデッサン課程を通っていない。絵は完全に趣味だった。1年前から絵の学校に通いはじめた。だけどセツ・モードセミナーは生徒に基礎を教えない。セツは「基礎はどうでもいい。勝手に身に付く。"本当の美"はそんなものでは決まらない」というスタンスだ。足の長い、素敵な服を着た美男美女のモデルさんは、毎週好きなだけ描かせてもらえる...。もう、自学自習しかない。私は世界堂の書籍コーナーで技法書を買った。だけど、どの本もレベルが高すぎた。読まない技法書が部屋に溜まっていった。

そのうち製作の着手が遅れるようになった。昔からの悪い癖だった。心の中では「早め早めでやろう」と思っているのに、手をつけるのが遅れてしまう。「ちゃんとできない」ことへの不安から、どんどん手が付けられなくなっていく。そうして、毎回締め切りギリギリに始めてしまい、作品のクオリティを下げてしまう。いつまでたっても作ることが楽しくない。苦しみばかりが募っていく。

頭の底からはいつも "書きかけの論文" の声がする。「私を忘れないで」という...。私は博論研究と向き合えないから、単位取得退学して、絵を描く方に逃げてきた。そもそも論文が書けなくなったのだって「ちゃんとできない」ことへの不安とうまく向き合えなかったからだ。私は「博論のことを気にしているから作品の仕上がりがまずい」と思い込もうとした。そして一層落ち込んだ。

常に動悸がするようになった。朝起きてから寝るまで、延々動悸に見舞われた。絵の学校の授業中、何も描けず、カフェスペースのソファに寝転んで過ごした。友達や先生が心配して見に来てくれた。博士4年目の在学延長中、絵の学校は私の「心の救い」だった。研究室でどれだけ苦しくても、小田急に乗って絵の学校へ向かい、無心でモデルさんをスケッチするとき、生きてる感じがひしひしとした。だけどもう、絵の学校にいるのも苦しくなってきた。

あるお仕事のとき、私の要件定義のまずさが原因で「これ以上契約も製作も続けられません」という破綻的な出来事が起きてしまった。依頼主さんとの交渉は終わり、私は製作を断念した。

それでもう、何かが切れてしまった。動悸は一層ひどくなった。私は、論文から絵に逃げることで心を落ち着けようとした。なのに、今度はいよいよ絵からも逃げなくてはならないのか。

...

2015年3月、動悸を抑える薬を飲みながら、国分寺の職安に通い始めた。

職安の相談員さんに、当時描いていたポストカードサイズの絵を見ていただいた。

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「へー!面白いね。うまいかどうかはわからないけど」

「ありがとうございます...」

「これ、井の頭公園で売ったらどうかな。井の頭公園、いろんなアーティストさんがポストカードを売ってるよ。誰か買ってくれるかもしれない」

「それ、すごく楽しそうです。やってみたい。」

「いいね。それから当面の"仕事"は、一度絵から離れて、とりあえず、今持っている能力で何か稼げることを探してみたらどうだろう。何かもう少し、今までの専門を生かした職を見つけてみるとか」

「やってみます...」

相談員さんのアドバイスは的確だった。「とりあえず、今できることを無理のない範囲でやろう」と思った。

研究施設への技術員を派遣する会社に登録した。大学院時代、とてもお世話になった秘書さんの派遣元だった (この方には前々から「ますとみさん、いざとなったらうちに登録したらいいですよ。いいとこです!」と言われ続けていた。この秘書さんは、いずれ私がそうなることを予見していたような気がする。)

しばらくして最初に打診されたのが「飛行機の研究所でのデータ整理」のお仕事だった。派遣会社からの「本契約をしますか?」というメールを見て、指が震えた。吐き気がした。こんな私が、できるだろうか?また何かトラブルを起こして、ひどい迷惑をかけてしまうんじゃないだろうか?

断ってしまおうか...断ってしまいたい。飛行機なんて責任持てない。だけど、飛行機の仕事ってなんだろう。すごくレアだ。なかなかない。乗り物が好きだ。飛行機、いつか描いてみたいと思って、ずっと描けないでいる。少しでも、飛行機に近づけるならいいな。絵の資料集めにもいいかもしれない。

脂汗を出しながら「就業します。」と返信した。

2015年の4月から、お仕事がはじまることになった。

...

お仕事の初日、職場でご挨拶をした。古い建屋の小さな居室で、4名の研究者がコンピュータ作業をしていた。直属の上司のYさんは女性だった。笑顔が素敵な明るい方だった。Yさんは「じゃあ、Kさんにも紹介しますね」と言って、私をKさんのデスクへ連れて行った。

そのとき初めてKさんに会った。

第一印象はつげ義春の「無能の人」だった。ここの研究所は、ほとんどの構成員が作業用のジャンパーを着ている。その中で、Kさんだけは黒い背広にノーネクタイで、その背広の両方の袖口がほころびて、端から無数の糸が出ていた。

私は、ものすごく小さい声で「はじめまして」と挨拶した。

Kさんは目を合わせずに「はい、今日からよろしく」と言った。

Yさんが「本業はイラストレーターなんですって。絵描きさんですよ!」と言った。私は、恥ずかしくなって「一応、イラストレーターです。これでも...とてもおこがましいですが...」と言いながら、本当に辛くなって下を向いた。

「あ、そうしたら、飛行機描いてもらおう。水彩がいいな」とKさんが言った。

 ( 水彩?)  

Yさんが笑って「Kさんダメですよ!それは別料金だから!」と言った。 するとKさんは「じゃあ、もうちょっと仲良くなってから、個人的に頼もうかな」と言って、また手元の作業に戻っていった。

Yさんから「これどうぞ」と服を渡された。研究所のロゴが入ったジャンパーだった。

...

それから、私は研究所に通った。Yさんはとても親切で、仕事はとても順調に進んだ。同じ居室の2名の研究員さんとも交流するようになった。Kさんと会話することはほとんどなかった。

  

(2へ続く)

 ...

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水車小屋

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水車小屋 (22.7 x 15.8 cm)

...

7月、小平ふるさと村に水車をスケッチしに行った。

施設の方の許可をいただいて、しばらく描いた。

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これ、難しいお題だ。建物だし、車輪くっついてるし、車輪動いてる。秋のイベントで「水車小屋をスケッチしよう」みたいな企画したいと思ってたけど、どうするかなあ。

とりあえず一度しっかり描いてみよう。講師が描けないと大変だ。

写真を撮って帰った。

iPadのAdobe Frescoで開く。

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幾何立体の組み合わせだから、図学的に位置が決まる。

丁寧にすれば、ぴったりいくはず。

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ここまで描いて、なんかしんどくなって、しばらく下書きのまま置いておいた。根が凝り性だから、これを始めると、凝り始めてしまってすごくしんどい。

結局、紙を小さくして描き直した。

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へろへろの線から乗せていった。 

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こんな感じ。

大きい方の紙も、今度絵の具使ってみよう。

 

 

都筑中央公園

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 都筑中央公園 (F8: 45.5 x 38 cm)

...

木曜日、横浜画塾・笠井先生の教室のスケッチデーのつもりで、自転車に乗って横浜に向かったら、スケッチデーは中止だった。どうしても外が描きたくて、静物の授業時間に許可を頂いて、教室のそばの都筑中央公園を描きに行った。

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公園の中央にある遊水池。水辺はいいな。楽園みたいだ。

...

木曜日、横浜画塾を退塾した。

3年と7ヶ月、本当にお世話になりました。振り返って、私はアホで思い込みが激しく、喋るのに時間がかかり、絵は勝手に描き、言うことは聞かない、先生やクラスの方々にとって間違いなく厄介な生徒でした。すみません。受け入れてくださって、本当にありがとうございました。先生から教えて頂いたこと、様々な形で伝えて頂いたこと、クラスの方々と一緒に描く中で感じたことを、大事に心に留めて、また描いていきます。