自信を持って生きる (亡くなったKさんの思い出) (10)

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(9から続く)

 

Kさんからの依頼を受けたあと「かぼちゃ人類学入門」という本を買った。

"かぼちゃ島"で暮らす"かぼちゃ人"のつつましい暮らしを鳥の視点から描いた絵本。小さい頃、この絵本がとても好きだった。絵の中に入って、自分もかぼちゃ人と一緒になって、かぼちゃ島で暮らす様子を想像して過ごした。

かぼちゃ人はボロボロの服を着て、土の匂いのする町に暮らす。好きな時間に食べて、好きな時間に飲んで、好きな時間に眠る。狭い路地に囲まれた町で、道ごしに窓と窓からおしゃべりをする。ぬるい温泉につかり、舞台でお芝居を見て楽しむ。

途中、島の歴史が描かれる。かぼちゃ人は初めからこういう暮らしをしていたわけではなかった。かつては世界中からたくさんの船が来て、かぼちゃ島の"肉"を輸出していた。かぼちゃ人は大儲けした。島には高い建物が建ち、店には珍しい品々が並んだ。だけど、そういう暮らしを続けるうち、かぼちゃ島のおなかは掘り尽くされて、空っぽになってしまったのだった。

一度死にかけたかぼちゃ島は、島そのものの生命力と、かぼちゃ人の努力によって、長い時間をかけてよみがえった。そうして、かぼちゃ人は島の恵みを大切に使う、新しい暮らしを始めたのだった。

Kさんから依頼を受けた時、この本のことが頭に浮かんだ。

「いつの日かこういう絵本を描いてみたい」と思っていた本だった。

「かぼちゃ人類学入門」を参考に、Kさんの絵の下書きをはじめた。

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描きながら、自分の数年間を振り返った。

絵の仕事を始めた頃、私が目指していたのは「人に見られて恥ずかしくない絵」だった。「仕事をもらえる絵」「依頼主からOKをもらえる絵」「Webサイトに乗せても恥ずかしくない絵」「この絵描きは"できる"と周囲に示せる絵」...研究からドロップアウトした私は、絵の世界に逃げ込んで、前やっていたのと同じように「よくわかってるフリ」「なんでもできるフリ」を続けようとした。そうして、他人も自分も騙そうとして、まず自分を騙しきれなくなって、神経性の病気になった。

飛行機の研究所に来て、Kさんと一緒に働くうち、私は少しずつ良くなった。自分と似て、恥ずかしがりで、凝り性で、落ち込みやすいKさんに「大丈夫です」「なんとかなります」「ものごと案外大体でいいんです」と言い続けるうち、自分の方が「大丈夫だ」「なんとかなる」「ものごと案外大体でいい」と思えるようになってきた。「なんでも、とりあえずやってみたらいい」という気持ちになってきた。私は、奇妙な形でKさんに"治して"もらった。元通りではないけれど、新しい状態にしてもらった。

「お礼の気持ちを込めて描こう」と思った。

 

絵は、なんとか仕上がった。

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3月の勤務最終日、Kさんのところへ絵を持っていった。

「絵です。仕上がりました」

「ああ、良かった。この紙袋ですか」

「はい。額装したので、ちょっと大きめになりました。開けてみてください」

「いま開けるのはよしましょう」

「え?」

「今日の送別会のとき、食堂に行って開けましょう」

「え??」

Yさんが居室にやってきた。

「お久しぶり!」

「Yさん!お久しぶりです」

「どうだった?元気だった?」

「おかげさまで元気です。今日はちょっと寝不足ですが」

「そうなの?なんで?」

今日までKさんの依頼製作をしていて、夜中に仕上げをやったことを話した。

「なにそれ!すごい!じゃあ、この紙袋の中身が絵?よし、おひろめ会しよう!」

「おひろめ会!?」

「だってほら、送別会だよ?盛大に送りたいよ。おひろめ会しよう!」

...

夕方、研究所の方々が食堂に集まってきた。

テーブルにはサンドイッチ、オードブルの皿、ビールや酎ハイの缶が並んだ。

人が集まったころ「あー!Kさん!なにやってるんですか!」とYさんが叫んだ。

Kさんが会場端のテーブルに座って、焼酎の瓶から中身を注いで飲んでいた。

「まだ乾杯前じゃないですか。それにお医者さんもだめって言ってるのに」

「いやもう、私はいいんです」

「え、ほどほどにしなきゃだめですよ?」

(ああ)

私はこの日、Kさんを止めようか迷った。だけど、結局止めなかった。

...

会場が盛り上がってきたころ、Yさんが「ちょっと注目!」と言った。

「きょうはね、絵のおひろめ会があるんですよ」

「絵?おひろめ会?」

「ではKさん、どういうことか説明してください」

「はい」

Kさんが話しだした。

「退職記念に、この人に絵を描いてもらったんです。私の個人的な依頼です」

「そういえば、本業イラストレーターの人が働いてるって言ってましたね」

「きょう退職ですか...研究発表の絵、代わりに描いてもらえばよかったな」

Yさんが紙袋から額の入った箱を取り出した。

「これはどういう絵なんですか」

「私の "理想の飛行機" です」

「"理想の飛行機"!?」

「そう、私は別に、速く飛ぶ飛行機がほしいわけではないんです」

Yさんが「じゃあ、おひろめします!」と言って、額の入った箱を開けた。

「ジャン!」

人がたくさん集まってきて、額の中の絵をのぞきこんだ。

「おお」

「絵本みたいだ」

「これ、飛行機の中?」

Yさんが「Kさん!いかがですか?」と言った。

Kさんは、絵から離れた場所で「よく見えない...」と言っていた。

「ここ、機内で酒盛りやってるぞ」

「おお、めっちゃ盛り上がってますね」

「頭にネクタイ巻く人って今もいるんかな」

「俺、一回もやったことないですよ。そもそもネクタイしない。する機会がない」

Kさんが絵に近づいてきて、絵の中をじっと見始めた。

「動物がいっぱいいるぞ」

「人間のキャラクターは、私がKさんから指示をもらって描いているんです。動物は私がイメージを足しました」

「あ、ここに描いてあるの、もしかして僕ですか?」

「そう、Sさんです。YさんとKさん、Sさんは中に描かせていただきました」

「カードゲームしてる人がいる。外国の人かな」

「ホシモがいる!」

「ホシモです。面白い形してますよね」

「飛行機、みんなで靴下脱いで乗れるのはいいよなあ。やっぱ窮屈だからさ」

「それはわかる、すごいわかる」

「おい、パイロットが寝てるぞ!」

「この機はAI制御でオートパイロットなんです」

「アテンダントさんが膝ついてお茶入れてる..」

「この機ならいいんじゃない?」

「旅客機っぽい主翼がありますね。てことは、垂直離着陸じゃないな。離陸の時どうなるんです?客室が傾いたら、みんな転がってっちゃうんじゃないですか?」

「まあ、そういうことはいいんですよ」とKさんが言った。

「いやあ研究者としてはやっぱ気になるでしょう」

「いや、もうこの際いいんです」

研究部の部長さんが言った。

「そうかあ、K君はこんなことを考えてたんだなあ」

「実は、そうなんですよ」

「普段、何考えてるか全然わかんないからさ。そうかあ、こんなこと考えてたんだなあって」

「ふふ」

Kさんは嬉しそうだった。

私は「Kさん」と声をかけた。

「絵、どうでしょうか」

Kさんは、絵を手に持ってじっと見つめた。

そして、言った。

「ああ、いい。これは、私の理想に限りなく近い。」

それから、絵を見つめたまま、はにかんだ顔をして「ありがとう」と言った。

嬉しかった。絵が描けて本当に良かったと思った。

「こちらこそ、ありがとうございました。すごく楽しいお仕事でした。」

パーティの終わりに、みんなで絵を囲んで記念撮影をした。

 

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(11終へ)

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