自信を持って生きる (亡くなったKさんの思い出) (11終)

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(10から続く)

 

食堂を出てKさんと話した。

研究所の桜がちょうど見ごろで、やや散り始めたところだった。

「ありがとう。絵は大切に飾ります。諸々のことはまたメールしてください」

「ありがとうございます。そうだ、展示を開催するとき、ぜひお知らせを送らせてください。メールでお知らせしても構いませんか」

「紙のはがきも送ってください。研究所宛で大丈夫です」

「わかりました。必ず送ります」

「楽しみにしています」

握手した。

「どうか、健康でお過ごしください」

「ありがとう。お元気で。」

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退職したあとも、時々Kさんと交流を持った。研究所の公開イベントにお伺いして、SさんとKさんの案内で実験設備を見せてもらったりした。Kさんも、はがきを持って私の展示に来てくださった。グループ展の芳名帳にひっそり名前だけ残してくださったこともあった。

2019年の冬、個展のお知らせに返信を頂いて、それが最後のお便りだった。

2020年1月、Yさんから「Kさんが亡くなった」と連絡があった。

 

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私は、Kさんとの思い出を「物語」として書いた。

絵の依頼を受けた時、Kさんから「物語の中で生きつづける」ためのお手伝いを任されたように感じたからだ。この感覚は、送別会の日のKさんを見て「間違いなくそうだ」という確信に変わった。

本当にこれで良かったんだろうか。

私はKさんに「現実で生きる」ことを勧めるべきだったんじゃないのか。入院治療を促し、自助グループにつなげていたら良かったんじゃないのか。せめて私は、最後の送別会の日「もうこれ以上飲んではいけない」とKさんを止めるべきだったんじゃないのか。

過去の判断を思い悩む時、Kさんが言っていた「何が正しいなんてないんですよ」というひとことを思い出す。この言葉は、秩序を破壊する混沌の言葉だ。だけど、不思議と心が落ち着いてくる。「どんな選択をしたとしても、ただその結果があらわれるだけだ」と思えるようになってくる。

治療の開始をKさんに勧め、研究所に状況を知らせた時点で、私は「Kさんの死の責任を負わない」と決めた。自分の心を守り、自分の人生を続けるためだ。

 

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Kさんという方が亡くなった。

飛行機の研究所で働いていた時の上司さんだった。お茶目でシャイで、とんでもない方だった。Kさんと一緒に仕事ができて、私は本当に楽しかった。

私はKさんとの交流を通して、大事なことを教えてもらった。

自信を持って生きる方法、それは「自分を"装う"のをやめる」こと。

自分の性質をまっすぐ見ること。怖がりなら「怖がりだ」と認めること。自分の性質を認めた上で「それでもいい」と自分を許してあげること。

「装わなければ恐ろしいことになる」という不安な気持ちと向き合うこと。自分の身体を傷つけないで、不安をなだめるすべを身につけること。他人の身体や心を使って、自分の不安をなだめようとするのをやめること。

私はKさんと同じように「物事の暗い側」を見るのが好きだった。だけど、KさんやYさん、研究所の方々と一緒に過ごして「明るい側を見たい」と思った。今も暗いものに心惹かれる。それでも「明るく生きていたい」と思う。

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「文字として書ける」ということと「実践できる」ことの間には、いつだって大きなへだたりがある。頭でわかっていることが、実際できるようになるまで、とても長い時間がかかる。

やめ続けること。やり続けること。

まずは自分から始めること。

私はこれから、そういうことをやっていきたい。